2012年12月25日火曜日

体験者たちの体験的なお産情報

例えば、「筋がさす」下腹がきんとつっ張ってくること、これは「もうすぐお産が始まる時期ですよ」という徴候である。さらに、「しきりがくる」陣痛による下腹部や腰部などの痛みが、ただの痛みだけでなく、痛みと同時に思わず排便の時のようにいきまずにいられない感覚をともなって起こってくることの表現である。これは子宮口が全開大に近づき、いよいよ胎児が母体外へ出るための母体側の体勢が整った時期であるしるしで、これから産婦は、陣痛と一緒に自主的な強い腹圧をかける必要がある、産婦にとってお産のクライマックスが近づいた徴候(いずれも、野忽那島のはつよさん・九〇歳の表現)といえる。

これまでしかし、そのような表現を大切にしてこなかったのは、産婦がお産において主役でなく指導される人であるという現在の状況と深く関わっている。そのため、妊産婦が自身でお産の進行状況を把握するための情報を蓄積するという努力が、産科学領域の研究で抜け落ちていたからであると思う。このような産科医療の現状が、妊産婦自身が自分の身体状況を正確に把握し、自分でまずどうするかという判断をする機会や、お産や身体について自主的に考えてみようとする態度さえ奪ってしまう・そしてますますヽ自分の身体をわけのわからない遠いものへと追いやっていく。

私は近年「広島女性大学通信課程講座」を受け持つ機会を得た。講座用テキストには産む側からみた出産現状の諸様相や問題点を取り上げ「いいお産とは何か」を解説したつもりだった。さて、課程も終わりに近づき受講生だちからレポートが送られてきた。添削をし始めて驚いたのだが、出産体験を持つ女性が一様に「ううIんその通りだ、そういう視点で考えなくては」と大変ストレートに反応してくれているのに対して、初産前の、あるいは新婚で未経験の女性たちでは、どうも読み取ったテキスト(私の文章)の知識が自分の知識と反応せず、心に納まっていない感じなのである。自分の身体に出産機構ともいうべき総合的生理的なシステムの備わっていることが、未経験者には理解できないらしい。

なぜだろうと考えてみた。まず一因は、私の文章が知らず知らずのうちに「お産に出会い腹立たしい思いをしてしまった者」の目で出産を論じているため、お産で私と同じような思いを体験した人では、即座に感情移入ができただろうということである。これについては、私かもっと静かに語りかけるような文章を書くよう努力せねばならないと思った。

第二には、出産を体験することによって、女性たちの心からはじめて分厚い岩のようなベールがはがされ、お産の真実の姿が見えはじめてきたためではないか、と言うことができる。お産をしてはじめて「なIんだ、お産て産婦が産むことじゃないか」と気づいた私。「お産は誰がついていてくれてもどうにもならん、私かするしかないんだから、いざという時のために助産者が一人いてくれたら、あとは私一人でいい」と夫参加を希望しないで二人目を出産した友人。このくらい、「産科医にしかお産はわからない」という意識が、お産をしたことのない人にとっては強烈である。したがって、体験者たちの体験的なお産情報を助産者にもわかる表現(共通言語化して)で収集することは、現在のお産状況の突破口になるのではないかと思う。

2012年9月4日火曜日

海外のアクセス事情

ヨーロッパの中でもドイツ、スイスなどは在来鉄道による空港アクセスが整っていたが、近年はTGVなどの新幹線や国際特急列車を空港へ引き込むケースが増えている。

かつてのロンドン・ヒースロー空港の地下鉄はピカデリーサーカスまでの所要時間が五〇分かかっていたが、新たに空港会社が専用鉄道をパディントンまで引き、最高時速一六〇キロのヒースローエクスプレスを二〇分で走らせている。

パリのシャルル・ド・ゴール空港は開港時に高速鉄道P.ER(ロアシ・レール)を引いたこともあって、空港利用者の二割が利用している。パリ北駅まで三五分、オペラ座まで四五分。ターミナルビルCDG2に設けられた鉄道駅からはPERだけでなくヨーロッパ一円へのTGVが発着している。

アムステルダムのスキポール空港から中央駅までは電車で二〇分だが、治安があまりよくないの
で、観光客は避けた方がよい。

ドイツのフランクフルト空港から市の中央駅までは地下鉄Sバーンで二一分だが、近年工事を行って、国際特急列車ICEの空港乗り入れも始めた。

ミュンヘン空港へは市内の地下鉄Sバーンが郊外電車となって所要時間四〇分。スイスのジュネーブ・コアントラン空港はコルナバン駅から七分、チューリヒのクローテン空港から中央駅まではI〇分という近さである。

ターミナルビルから手荷物をカードに載せたままエスカレーターを下っていくと鉄道のホームに
そのまま降りられるので、とても便利だ。ウィーンのシュヒヤート空港から北駅までは三〇分、ブリュッセルのナショナル空港は中央駅まで二〇分だ。

東南アジアでは新しく建設された香港のチェクーラップーコク空港と九龍駅、香港島とをエアポートーエキスプレスが二三分で結ぶくらいで、他の空港はリムジンバスが一般的。

車社会アメリカでは、ボストンのローガン空港がダウンタウンと地下鉄で、アトランタのパーツフィールド空港がMARTA(アトランタ都市高速輸送会社)が明るく清潔な車両でダウンタウンとを結んでいる程度だが、建設中のポートランドやラスベガスなどを含めて、アクセス鉄道の構想を立てている空港は多い。

2012年8月23日木曜日

日本は大国である「乗り遅れ論」は間違い

南北首脳会談の実現をはじめ、二〇〇〇年にはロシアのプーチン大統領が史上初めて北朝鮮を訪問した。オルブライト米国務長官の北朝鮮訪問も、国務長官としては初めてであった。また、中朝首脳会談も行われた。ドイツやイギリスなどの欧州諸国も、北朝鮮との国交正常化の意向を明らかにした。

こうした諸外国の首脳と金正日総書記の会談を見ていると、日本はなんとなく国際政治の潮流に乗り遅れたようにみえる。だが、これは朝鮮半島の国際政治について、これまでの経過を知らないか歴史の教訓を学んでいない「素人」の見解である。北朝鮮が大きく変わる可能性は、極めて少ないからである。朝鮮半島の対話には、「揺り戻し」と「冷却化」がつきまとうからである。

アメリカ国内にはなお民主化もせず人権問題をかかえる北朝鮮との急速な関係改善に批判的な論調も少なくなかった(ロサンゼルス・タイムズ紙など)。それだけに、アメリカの新政権での揺り戻しは必至である。

「日本乗り遅れ論」は、周辺諸国の北朝鮮との関係改善で、何かしらないが「立ち遅れた」とのいらだちに似た感情から始まっている。だが、冷静に考えてほしい。

「米朝や南北、露朝の首脳会談で何が変わったのか」特に、何も大きく変わってはいないのである。日本の損失につながることが、何か起きているだろうか。北朝鮮がアメリカや韓国、はてはロシアや中国と手を結んで、日本と対抗しようとしているわけではないのである。日本の国益には、まったく影響がないのである。むしろ、黙っていても朝鮮半島での戦争の危険が大きく後退し、日本の安全保障を取り巻く環境は何もしなくてもよくなっている。これほど効果的な外交はない。

と同時に、日本はアジア最大の経済大国である現実を忘れてはならない。日本の国内総生産(GDP)は約五〇〇兆円で、韓国はわずかに四〇兆円でしかない。北朝鮮は四兆円弱といわれる。経済大国である日本の協力なしには、新しい時代の北朝鮮の安定と平和は実現できないのだ。

この単純な「戦略」さえわかっていれば、日本が決して乗り遅れない現実を理解できるはずである。日本は、アジア最大の大国である。大国には、大国らしい外交と政策の理念が求められる。外交の基本原則なしに「乗り遅れ論」で外交政策を変えれば、周辺諸国はもとより相手にも軽蔑され軽く見られることになる。

最大の懸案は拉致問題

日朝正常化交渉は、二〇〇〇年四月に第九回会談として再開された。北朝鮮側の主張からすれば、再開された交渉はこれまでの交渉の連続であり、新たな議題は取り上げないことになる。また、拉致問題は議題にならず「戦後の償い」には応じるべきであるというのが、北朝鮮の立場である。これは、日本の政治家が与党訪朝団などの合意文書で北朝鮮側の主張を認めるような形式を受け入れてしまったためである。政治家の勝手な合意で、交渉に当たる外交官が国益を守るために苦労させられているのであ・る。

日本人拉致疑惑では、日本政府は七件一〇人の日本人が拉致された可能性が極めて高く、それなりの証拠があるとしている。公安警察は、一〇〇人近い日本人が、拉致されて北朝鮮にいるとの見方である。これに対し、日本の政治家の中には「拉致したという証拠ぱないではないか」と、北朝鮮と同じような主張をする人物もいる。これは、間違いである。原軟晃さん拉致事件は、工作員が自白し韓国で服役したのである。これは、「証拠」以外の何物でもない。また、欧州で行方不明になった日本人が、平壌で生活している事実も明らかになっている。

こうした事実を検証すれば、何らかのかたちで北朝鮮から出国できなくなっている日本人がいるのは事実である。こうした男女の全員が、文字通り「拉致」された人たちでぱないかもしれない。北朝鮮でいい仕事があると編されて、「自由意志」で北朝鮮に渡ったが、その後自由を奪われ工作員の教育係などをさせられているケースもあるだろう。

日本政府としては、こうした日本人の問題解決に北朝鮮が何らかの前向きの対応を示さない限り、日朝正常化はできないという立場である。これは、外交政策としては正しい対応である。日本政府が、日本国民の生命に重大な関心を寄せていることを、国民はもとより北朝鮮に十分に理解させることは、大切である。そうでなければ、日本政府は国民の信頼を失うからだ。

外交とはそうした基本原則は強硬に主張しながらも、現実的な解決策を模索するものである。とりあえずは、北朝鮮が「被拉致日本人」の生死について、公式・非公式を問わず通告することがこの問題を解決する「誠意」の表明になる。ただ、日本人拉致問題は金正日総書記が決断しない限り、解決はない。日本の指導者や首相の特使が、直接金正日総書記と話し合うことが、解決への唯一の道である。それまでは、交渉担当者は「拉致問題が前進しない限り、日本国民は日朝正常化を認めない」と言い続けるしかない。政治家は、そうした外交戦略を妨害し、利敵行為をしてはならない。外交交渉は、アメリカのように超党派で交渉担当者を支援するしかないのである。

村山訪朝団の真実・一九九九年一二月

村山富市元首相を団長とする超党派の訪朝団が、一九九九年一二月の初めに北朝鮮を訪問した。なぜ、訪朝したのか。新聞が報じた公式の名目は、日朝正常化交渉の再開に道を開くためであった。そして、日朝正常化交渉を無条件で再開するとの合意を発表したのであった。その後、日朝正常化交渉が再開されていることからすれば、村山訪朝団が日朝正常化交渉に道を開いたと考えてもよさそうである。新聞もそう報じているのだから。

ところが、真実は異なるのである。すでに明らかにしたように、日朝正常化交渉の再開は一〇月末にシンガポールで行われた日朝の北東アジア・日本課長会談で合意していた。それなら、なぜ発表しなかったのか。実は、まだ手続き上の問題を残していたのである。予備交渉の場所や、議題の内容などについても詰める必要があった。日本側には、拉致問題の進展を交渉再開の条件にしてきた経緯もあり、無条件での交渉再開の発表にはなんとなく抵抗感がめったのも否定できない事実であろう。

もう一つの問題は、制裁の解除であった。日本政府は、一九九八年八月のテポドン・ミサイル発射を受けた際に、北朝鮮に対する四項目の制裁措置を取ったが、このうち、KEDOへの協力が再開されていただけで、残りの制裁は継続されていた。外務省の当局者は、シンガポールでの秘密合意を受け、北朝鮮に強硬な自民党の有力政治家に制裁解除の根回しをしてみたが、反応はかんばしくなかった。

一方、日本の「北朝鮮族」と平壌の工作機関の責任者は、この秘密交渉の合意を聞いて驚愕した。その時まで、日本の政治家とこの責任者は「与党を中心とした訪朝団の実現」に力を注いでいた。ところが、なかなか金正日総書記の許可が下りなかったのである。北朝鮮側の責任者は、与党訪朝団を入れれば日本からコメ一○○万トンの支援を得られると、何度も上部に報告していたが、そうした成果を実現できないでいた。それも実現できないのに、外務省が正常化交渉を始めれば、自分たちの立場も体面も失われてしまう。

こうして、日朝の双方で「正常化交渉の道筋を付ける」芝居を打たねばならない人たちが訪朝団の派遣で協力し合うことになったのである。

2012年7月2日月曜日

東北地域の空港までのアクセス

仙台は建設が決定

東北の拠点空港として発展している仙台空港にも、アクセス鉄道の建設が始まっている。JR仙台駅から空港(現在はバスで約四〇分)までの七キロに建設するもので、二〇〇六年度に完成すれば七分(快速)で結ばれる。

天神から11分の福岡空港

日本でアクセスが一番便利な空港は、福岡空港だ。福岡市の中心部を走っている地下鉄を延長し、博多(JR)から五分、天神から11分、姪浜からでも25分でターミナルビルに到着する。

所要時間の短さに加え、41分という短い運転間隔は市内の交通機関ならではの便利さだ。列車は姪浜からそのままJRの筑肥線に乗り入れ、唐津までを1時間30分で結ぶ。

宮崎から直通列車が開通

日本でもっとも新しい空港アクセス鉄道だ。日南線の田吉付近から2.6キロの専用線を引き込み、宮崎から10分前後で到着する。空港からは日豊本線で延岡(所要時間1時間15分程度)や博多行きの特急も出発している。

空港の交通アクセス

伊丹にできたモノレール

大阪都心(梅田)と伊丹空港を結ぶ空港バスは所要時間が約三〇分で便利だが、ラッシュ時は高速道路が渋滞し、乗っている乗客はやきもきする。

近年開通したモノレールは都心と直接結んではいないが、空港から千里中央(一三分)を通って門真市までを三六分で走る。したがって、なんば、心斎橋方面からの地下鉄に乗り、千里中央でモノレールに乗り換えると、梅田から四〇分程度(電車の乗車時間は二九分)で、ターミナルビルに確実に到達できる。

関空は鉄道が一番便利

関西空港は当初から鉄道をアクセス交通のメインに位置づけていただけあって、便利だ。鉄道の改札口を出て空港のターミナルビルへ向かうと、一直線で同じフロアにある出発カウンターに到達できるのは気持ちがよい。

JRは京都から新大阪(所要時間四六分)、天王寺-関西空港(同三〇分)の特急「はるか」が三〇分ごとに走っているほか、和歌山からの普通電車が日根野で空港線に接続する。私鉄は「鉄人28号」とアダ名された南海電車の特急「ラピート」が、なんばとの間を三〇分で結んでいる。

札幌まで意外とかかる新千歳空港

新千歳空港は、日本で最初に鉄道をターミナルビルまで引き込んだ空港だ。到着客がビルの地下まで降りていくと、ホームに札幌行きの列車が待っている。

特に北国の冬に寒風や雨にもあわずにアクセス交通に乗り継げるのは、ほんとうに有難い。本土の人間が札幌空港などと呼ぶように、札幌市の一部にあるかのように誤解していると、所要時間は10分前後かと思ってしまうのだが、実際は快速で三六分もの距離がある。快速は一五分間隔なので、アクセス時間としては札幌市内まで一時間をみておく必要がある。

ようやく便利になりてきた国内空港へのアクセス

羽田空港には京急が乗り入れ

九八年にターミナルビル地下に京浜急行が直接乗り入れを始めたことにより、羽田空港へのアクセスは格段に便利になった。モノレールだけのときは、いずれの方面からでもJRの浜松町で乗り換えて空港へ向かったのだが、階段の利用も少なくなって航空旅客の乗り換えの手間は大幅に軽減された。

京急は品川から一五(快速特急)1二六分(急行)で結ぶが、新橋、宝町、人形町など都心の東側を抜ける都営地下鉄浅草線、京成電鉄と相互乗り入れをして成田空港までエアポート快速特急で約二一〇分)直通運転もしている。

将来的には、都営浅草線を東京駅まで乗り入れるのと、蒲田駅で東急電鉄との線路をつなぐ構想があり、ますます便利になりそうだ。渋谷から直通の列車が乗り入れることが実現すれば、東急沿線の住民だけでなく、京王、小田急沿線の住民も楽になる。

成田空港は鉄道抜きでは成り立たない

当初の成田空港の地下駅は、将来建設する構想の「成田新幹線」用に用意されたものだったため、開港当時のアクセス交通は、箱崎から運行されるリムジンバスに全面的に頼らざるを得なかった。

多くの乗客が不満をこらえ、高速道路のラッシュに肝を冷やしながら成田へ向かっていたが、運輸省はいつできるかもわからない新幹線のために計画を変更しようとはしなかった。

ところが、時の運輸大臣だった石原慎太郎氏が窮状を見かね、「鶴のひと声」で在来線の乗り入れが決まり、近くを走っているJRと京成が地下駅への線路をつないだ。

いまや東京駅と空港を六〇分で結ぶ成田エクスプレスはJRの稼ぎ頭となり、北は大宮、池袋、西は新宿、南は横浜、大船まで延長運転されている。確かに成田エクスプレスは快適で、運転本数も多いが、運賃は高い(東京駅―成田空港二九四〇円)のと、立ち席が認められていないのが残念だ。

一方、京成の空港特急スカイライナーは上野または日暮里から六〇分で1000円安い。もっとも安いのは京成の普通の特急で、所要時間は七二分かかるものの運賃は1000円ポッキリだ。

探せばまだある喫煙便

飛行機の世界ではあっというまに世界中で禁煙になってしまった感がある。米国が自国発着便を全面禁煙にしたのに続き、日系エアラインも実施に踏み切った結果、喫煙族は肩身の狭い思いをしている。

筆者は喫煙の経験がないので、全面禁煙はありがたいのだが、トイレでの隠れタバコがなくならない現状を聞くと、長距離便での全面禁煙はかえって危ない気がする。本来は、排煙装置をつけて一部に喫煙席を設けるのが一番理にかなっていると思うのだが・・・。

欧州方面はオーストリア、フィンランド、アリタリア、アエロフロートが、アジアではトルコ、マレーシア、エアーインディア、パキスタン、エジプト航空が喫煙席を一部残している。国内線では一部の反対を押し切って、エアードウが二〇〇〇年一二月より復活させたものの、再び禁煙に戻した。

空港といえば「街から遠い」「行くまでがたいへん」というイメージがあったが、近年は空港までのアクセス鉄道が急速に整備されて便利になった。時間に正確という鉄道のメリットは、航空旅客に安心感を与えている。しかも大きな荷物を持つ航空旅客にとっては、乗り換えのないことが評価の重要なポイントだ。

機内誌から情報を得る

飛行に入ると、前席の座席ポケットに入っている機内誌をパラパラとめくる人は多いのだが、たいていは途中でやめてしまう。ところが、乗客にとっての重要な情報は最後の一〇ページにまとめられているのだ。機内のアナウンスは、乗客が機内誌に記載されている情報を前提になされるので、ここの情報には注意する必要がある。

まずは飛行ルート図。路線図と違って詳細な地図を使って飛行ルートを示しているので、どこを飛んでいくのかが理解できる。二つめは使用機種の説明で、搭乗機の性能や客室内の図を見れる。

機内での自分の位置、非常口の位置、そしてトイレがどこにどれだけ設置されているのかが確認できれば、空いているトイレを探すことも可能だ。ジャンボ機の後部にひとつだけある、広めのトイレも発見できる。

そして、機内の娯楽設備の案内。取り扱いの説明と、プログラムが記載されている。多くのエアラインでは、路線ごとに放映する映画のメニューと日本語の吹き替えの有無を告知してあるので、あらかじめ見たい映画の目星をつけておこう。

さらに、エアラインからのお知らせや一部の乗客には大切な情報が書かれていることも多い。乳児を連れた乗客は、紙オムツの用意やオムツの交換台の設置されているトイレなどの情報は重宝するはずだ。

エコノミークラス症候群

健康な人間でも、連続一〇時間を超えるフライトになると身体がつらい。近年では、日本からニューヨークなどアメリカ東海岸や、ロンドン、パリなどヨーロッパまで無着陸で飛行できるようになり、13-14時間の飛行になることも珍しくない。乾燥した機内で身動きもままならない狭い席で長時間座り続けていると、水分不足・運動不足に陥り、「エコノミークラス症候群」になると騒がれている。

エコノミークラス症候群とは、血流が停滞して起きる血行障害で、一九六八年に欧米の研究者によって発表された。飛行中は気圧が〇・八気圧(一五〇〇メートル級の山に登っているのと同じ状態)程度に薄くなる上に、身体を十分に動かさないため、下肢を流れる静脈に固まった血(血栓)ができるが、飛行機を降りて歩き出すと血栓が流れ出して血管に詰まる。詰まる場所によって症状が異なるわけで、肺に詰まっての呼吸不全や心肺停止、心臓の血管では心筋梗塞、脳の中なら脳血栓の発作を招く。兆候としては、足のむくみに表れる。

同じ飛行機でもファーストやビジネスクラスはスペースにも余裕があり、エコノミー席の乗客に被害が集中することから、「エコノミークラス症候群」と呼ばれているわけだ。

身体が堅くなってきた五〇歳以上の、肥満タイプの人に起きやすい。英国の新聞によれば世界で年間二一人ほどがこれが原因で命を落としているとのことだが、日本であまり知られていなかったのは、皮下脂肪の多い欧米人に多いとされてきたからだ。ところが、成田空港でも同空港クリニック開設以来の死亡者四六人の死因をあらためて分析してみたら、二五人が該当したという。

エコノミークラス症候群にならないためには、小刻みに水分を補給することと、身体をなるべく動かすことで、専門家は一時間に一回程度、軽く屈伸や運動することをすすめている。

確かに、トイレに立つおりに機内を一周してしまうとか、非常口辺りのスペースのある場所で屈伸運動すると、身体が楽になる。イスに座ったままでも、カカトの上げ下げを繰り返したり、体をねじってみるだけでも効果的だ。用意のよい友人に、竹踏みの竹を持参する人を知っているが、足裏のツボを刺激して実に気持ちがよいそうだ。

2012年6月21日木曜日

こちら側も身を投げだしてそこに生きることを学ぶ

金城さんも書いているように、こちら側も身を投げだしてそこに生きることを学んでいかなければなりませんが、身を投げだしてこっちまで死んでしまったらなんにもなりません。こちらは生きていないといけないわけですから、そのあたりのかねあいも見失ってはいけないでしょう。

関係というものはだんだんにつくられ、そうした関係があるからこそ、しだいに深まっていきます。つまり、カウンセラーとクライエントと、二人で深めていくというところがあります。

しかし、相手によっては、こちらがはじめから非常に深いところに踏みだすこともあります。逆に、浅いレベルからゆっくりいこうとしているクライエントに対し、こちらからいきなり深いレベルで入ってしまうと、向こうはこわくなって、敬遠するようになります。

そういう人の場合は、浅いレベルから話を聴いていかなければならない。そうしたレベルの認識というものを、私たちはいつも心得ておく必要があります。これは、川寄さんが提起されたコミットの問題と似たところがあります。

たとえば、私たちがクライエントに、「箱庭つくりませんか」と言うのは、相手が二階から飛びおりるのを、こちらはなんとしても受けとめるということの決意表明でもあるわけで、箱庭をつくるというのは、それくらい重大な意味をもっていることなのです。

飛びおりさせておいて放っておいたら、相手は死んでしまいます。なにげなしに、「では、手はじめに、箱庭でもつくってもらいましょうか」などとやると、とんでもないことになります。

関係の場というのは、心理療法における基本的なステージであって、それを私たちは習練に習練をくり返して、できるようになっていかなければならないのです。

初心者の場合、まだ自分のもっているレベルが浅いので、クライエントとの関係の場も、浅いものにならざるをえないし、クライエントのレベルのほうが深いため、しょっちゅう関係の場を超えてしまった事態にぶちあたります。

しかし、そういうことも、経験の蓄積によってだんだんとわかってきます。つまり、カウンセラーのほうもクライエントによって鍛えられていくわけです。

初心者には初心者のすばらしい点があって、それは謙虚さがあるということです。自分の計らいが出てこないため、かえってうまくいくことが多いようです。

これが、少し経験を積んで上達してくると、妙な計らいが出てきて、それでよく失敗します。たとえば音楽家が、ちょっとうまくなったからといって、「よし、聴かしてやろう」などと考えたりすると、聴いているほうはいやになってくるのと同じです。

2012年5月16日水曜日

今フリーターの仕事事情は厳しい

総合人材サービスに登録しているのは、勤めていた会社が倒産したり、リストラにあったりした人たち、就職が決まらなかった人たちが多いのですが、自分のやりたいことをするために時間的に束縛されるのがいやだからという、いわば「夢追い型」もいます。

稲泉さんは自ら人材サービス会社にスタッフ登録してみました。登録用紙には、名前、住所、年齢、身長、体重、スーツの有無、他の人材派遣会社での労働経験など、さらにパソコン操作の技術程度も答えるようになっています。

その用紙に記入して簡単な面談をすると、登録されます。ペーパー試験も面接もなく簡単に登録できるというところが、フリーで働く人にとって魅力の一つになっているといいます。

二日前に仕事予約を入れるシステムなので、空いている日の二日前に登録した会社に連絡を入れておきますが、待っていてもなかなか電話がこない。

そこで他の会社にも登録をして、かけもちで仕事を探すようにする。この仕事をする人の多くは、かけもちで登録して仕事を探します。稲泉さんは、仕事の電話を待っているときの気持ちをこう書いています。「仕事を貰うために携帯電話をじりじりと見つめていたその四日間は、息苦しくてたまりませんでした。」そこまで今のフリーターと呼ばれる人たちの仕事事情は厳しいのです。

顔のない仕事?「ワンコインワーカー」とは

会社に縛られない生き方とはどのようなものか幸考えていこうと思います。フリー労働者、フリーエージェントの実態を書いたもので、印象に残った文章が二つあります。

一つはフリーアルバイターの稲泉連さんの書いた「顔のない仕事に流される若者たち」ともう一つはアメリカのジャーナリスト、ダニエル・ピンクさんの「フリーエージェント社会の到来!雇われない生き方よ河を変えるか」である。

フリー労働者、フリーエージェントの対極的な姿を書いた二つの文章を素材に、検討を進めていきましょう。

顔のない仕事?「ワンコインワーカー」の実態

稲泉さんは一九七九年生まれの若いフリーターです。高校を中退し、大検(大学入学資格検定)を経て、早稲田大学に入学。在学中から同世代の若者たちの姿をルポしています。

「顔のない仕事に流される若者たち」は、人材派遣の中でもっとも不安定な「旦雇い」の人たちをテーマにしています。電話一本で呼ばれて仕事をしてお金をもらう労働者は、アメリカでは電話代のワンコインで働くという意味で、「ワンコインワーカー」と呼ばれているそうです。

具体的には、倉庫内の作業、イベント会場の設営・撤去、オフィスの移転、工場の期間労働が主な派遣先です。大手の総合人材サービス会社には、現在学生、フリーターなど、全国で50万人以上が登録しているといいます。