2015年12月4日金曜日

アメリカにおける生産管理の基本とは

日本経済が原油価額の高騰を吸収できたもう一つの、さらに重要な原因がある。それは日本の生産管理がアメリカ型から日本型に変わってきたことである。一九五〇年代の末には、日本の企業の大部分はアメリカ風の生産管理の手法を消化したが、どうしても、それになじめない部分があった。技術的な面に限って言えば、作業標準やメインテナンスの基本的な大切さは、アメリカでも日本でも中国でも変わりはない。問題は、その作業標準やメイシテナンスを、全ての作業者にしっかりと守ってもらうには、どのようにすれば良いかということである。それは、それぞれの国の日常習慣や文化や歴史によって、さまざまである。
 
アメリカの企業組織では、日本で言えば職長や班長に当たる監督者が、自己の責任と権限において、職場の作業員に正しい作業のやりかたを教え、監督し、まちかっていれば正すことで、職場の全員が作業標準を守ることを期待した。フォアマンが生産管理のかなめである。一九五〇年代の日本でも、その監督者に対する訓練方式が導入された。当時の日本の労働省職業安定局が編集した「TWI実務必携」(一九五四年)を開いてみると、作業の教え方や人の扱い方について、アメリカ風に微に入り細をうがって書いてある。

作業の教え方では、「簡単な短時間でできる仕事であったら、数分おきに来てみる必要がある」、「もし間違っていたら、当然それを直さなければならない。この場合にも、その間違った点だけを根気よく直すことが必要」とある。当たり前のことではあるが、アメリカの場合、教えるにせよ直すにせよ、それは企業との契約にもとづいての、フォアマンの責任と権限によることである。だから、職場の作業員同士で、教え合ったり直し合ったりすると、それはフォアマンの権限をおかすことになる。

そのうえ、アメリカの労働者は一人一人プロとしての職能意識が強いから、となりの労働者から「それは間違っているよ」などと言われると、プライドを害してしまう。人に教えるという義務も、企業との契約条項にはないから、教える方もおかしいのである。つまりアメリカでは、フォアマンも作業者も、それぞれ仕事の責任範囲が明確に決まっていて、その責任を各自が確実にはたすことが、生産管理の基本である。