2014年4月17日木曜日

問題多い養護学校の義務制化

福島県、とくにいわき市におけるウソのよう痙ポンドの話である。だが、いわき市の現状は、この国にあって決して特異的なものではない。むしろ典型的なものと考えるべきだろう。いわば、教育矛盾の集中的表現として、いわき市が存在しているといえるのである。「障害」児にも教育を受ける権利を保障しようと、一見美しい言葉によって、五十四年度からスタートする養護学校義務制化。しかしこれは、普通の学校で学びたいという子を「障害」児と決めつけ、養護学校という名の牢獄に送り込むためのアウシュビッツ型制度ではないのか。一九七一年六月、中央教育審議会は、「今後における学校教育の総合的左拡充整備のための基本的施策について」と題する答申を行なった。その左かで、「特殊教育の積極的な拡充整備」にも言及していたが、これが、養護学校義務制化の、直接の出発点であった。

答申を受けた政府は七三年十一月。「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関すふ施行期日を定める政令」を公布。そこでは「学校教育法第二十二条第一項に規定する養護学校における就学義務並びに同法第七十四条に規定する養護学校の設置義務に関する部分の施行期日は、昭和五十四年四月一日とする」と述べられていた。ここで展開されている骨子は、「就学させる義務」と「設置義務」とであるが、これらについては、学校教育法のなかに明文化されている。つまり保護者の「就学させる義務」は、その子女が満六歳に達したときに生じ、満十五歳まで続く。就学させるべき学校は「小・中学校ないし盲・聾・養護学校の小・中学部のいずれか」であるとされている。一方、「設置義務」では、小・中学校は市町村に義務があり、盲・聾・養護学校は都道府県にある、と規定されている。

この学校教育法は一九四七年(昭22)三月三十日公布され、同年四月一日に施行された。「盲・聾・養護学校における就学義務および設置義務に関する部分の施行期日は政令で定める」とされ、それらの就学・設置義務の実施は一時的にペンディングとされた。そして、盲・聾学校の小学部は四八年四月から、同中学部は五四年四月から施行され。残ったのが養護学校(小・中学部)であった。これが七九年(昭和54)から施行されることに痙ったわけである。この間、文部省では「養護学校設置七年計画」(七二年-七七年)、「特殊学級設置十年計画」(七二年-八一年)、「特殊教育諸学校幼稚部学級設置十年計画」(同)を着々と進行させ、これらによって、中教審答申にある「特殊教育の拡充整備」はほぼ完了する、としている。

七一年当時、二百六十一校(生徒数約二万三千人)だった養護学校は、七五年五月には三百九十六校(約三万三千人)に増加しており、養護学校義務化が実施される直前の七八年度中には五百四校(約六万人)にふくれあがる予定になっている。事実、七一年に約二万一千人いた不就学児童が、七四年には約一万五千人に減っている(文部省調べ)。おそらくは、この間に増設された養護学校に就学したものと考えられる。ところで、この「昭和五十四年度養護学校義務制化」に対して現在、全国各地で「障害」児、教育労働者、市民、学生らを主体とする反対運動が幅広く、繰りひろげられている。養護学校義務制化とはいったいいかなる事態を意味するのか、また。「障害」者やその支援団体はいかなる論理で、これに反対しているのか。

そのことを、ただたんに現象的に見るだけでは座く、問いかけの内実を、具体的に考えていく必要がある。そのことが、この世の中に充満する「障害」者差別思想と、それを支える教育体制を打破する契機となり得るに違いないからである。「障害」児の権利奪った教育の歩み。養護学校義務制化に対しては、「各地に養護学校がたくさんできるから、従来、就学猶予・免除にされてきた子どもも教育が受けられるようになる」とか、「養護学校ができたら、その子の能力に応じた教育が受けられる。たんなる教育権ばかりか、実質としての学習権も保障される」という、肯定的な受けとり方もある。むろん、そのような側面もまったくないわけではないだろうが、問題を総体としてみれば、そのよう左肯定面はむしろ、付随的なものといわざるを得ない。