2015年9月4日金曜日

森林資源が適切に管理

六月二一日、世界遺産誓願参拝のイベントが実施された。佐藤さんの心配をよそに六〇〇名が集まり、全員笑顔の集合写真がユネスコの審査委員に届けられることになったのである。七月二日、カナダのケベック市で、世界遺産登録の審議が始まった。今回は例年になく厳しい結果だ。各国から申請された四七件のうち、合格したのは二七件だけ。平泉の審議も長引いた。高橋一男町長のもとに知らせが入ったのは、七日の朝だった。「もしもし、記載延期ですね」と電話で確認した後、町長はしばらく何も言えない。記載延期つまり落選である。日本が推薦して拒絶された初めてのケースとなった。千葉さんも言葉が出ない。

その後、防災無線で町中に、世界遺産登録が見送られたことが伝えられた。佐藤さんも「世界遺産て、何なんだろう」と失望を隠せない様子だ。町全体が重苦しい空気に包まれているようだった。あれから三週間、七月末になって、平泉を訪れてみると、役場の入り口には「夢」という巨大な文字が掲げられていた。千葉さんは「夢を持って、三年後の登録に向かって、突き進んでいきます」と力強く話した。三年はかかると言われる再チャレンジに向けて、町民たちの気持ちも変わり始めたようだ。「おもてなしシール」も、あちこちに増えている。熱血漢、佐藤さんも、こう語ってくれた。

「平泉うんぬんよりも、地域を勉強する機会を与えられたとプラスに考えています。あっと言う間の三年になるでしょう。何をしたらいいのか、まだわからないけど一何かはしていきたい」平泉は、世界遺産登録に向けて動き出していた。世界遺産登録で人口四〇〇人の町は大混乱。島根県のほぼ中央にある大田市、その山間にある大森町に、二〇〇七年に日本で一四番目の世界遺産に選ばれた石見銀山がある。石見銀山からは、戦国時代後半から江戸時代前半にかけて、大量の銀が採掘され、日本の銀のほとんどを占めていた。当時、この鉱山で掘られた銀は、世界の三分の一の量に達し、中国はもとより遥かポルトガルやオランダとの貿易を支えていた。

石見銀山は、森林資源が適切に管理されていたため、今も豊かな自然が残されている。銀を運んだ街道、銀を積み出した港、そして採掘時に中心となった大森町の町並み。そのいずれにも鉱山と自然と人々の暮らしが見事に共生していた跡が、現在でも残されている。その様子が、世界でも希有な場所として評価されたのだ。石見銀山は、世界遺産に選ばれたことで、突然観光地としても脚光を浴びることとなった。登録一年で、年間の観光客数は以前の四〇万人から、約一・八倍の七一万三〇〇〇人に増えている。この一年、町はかつてない賑わいを見せていた。

しかし、急激な変化に、さまざまな軋みも表れるようになった。昔からあるお菓子屋さんに置かれている商品は二つだけだ。お店の主人は「手作業なので大量生産できない。間に合わないんです」と苦笑していた。もっと深刻なのは、移動手段だ。大森町人口から坑道入口の最寄りのバス停までの約二・五キロを、観光客は路線バスに乗るしかない。大森町ではマイカーの乗り入れを規制して駐車場から先は路線バスに乗り換えてもらう「パークアンドライド」方式を採用しているからだ。