2012年12月25日火曜日

体験者たちの体験的なお産情報

例えば、「筋がさす」下腹がきんとつっ張ってくること、これは「もうすぐお産が始まる時期ですよ」という徴候である。さらに、「しきりがくる」陣痛による下腹部や腰部などの痛みが、ただの痛みだけでなく、痛みと同時に思わず排便の時のようにいきまずにいられない感覚をともなって起こってくることの表現である。これは子宮口が全開大に近づき、いよいよ胎児が母体外へ出るための母体側の体勢が整った時期であるしるしで、これから産婦は、陣痛と一緒に自主的な強い腹圧をかける必要がある、産婦にとってお産のクライマックスが近づいた徴候(いずれも、野忽那島のはつよさん・九〇歳の表現)といえる。

これまでしかし、そのような表現を大切にしてこなかったのは、産婦がお産において主役でなく指導される人であるという現在の状況と深く関わっている。そのため、妊産婦が自身でお産の進行状況を把握するための情報を蓄積するという努力が、産科学領域の研究で抜け落ちていたからであると思う。このような産科医療の現状が、妊産婦自身が自分の身体状況を正確に把握し、自分でまずどうするかという判断をする機会や、お産や身体について自主的に考えてみようとする態度さえ奪ってしまう・そしてますますヽ自分の身体をわけのわからない遠いものへと追いやっていく。

私は近年「広島女性大学通信課程講座」を受け持つ機会を得た。講座用テキストには産む側からみた出産現状の諸様相や問題点を取り上げ「いいお産とは何か」を解説したつもりだった。さて、課程も終わりに近づき受講生だちからレポートが送られてきた。添削をし始めて驚いたのだが、出産体験を持つ女性が一様に「ううIんその通りだ、そういう視点で考えなくては」と大変ストレートに反応してくれているのに対して、初産前の、あるいは新婚で未経験の女性たちでは、どうも読み取ったテキスト(私の文章)の知識が自分の知識と反応せず、心に納まっていない感じなのである。自分の身体に出産機構ともいうべき総合的生理的なシステムの備わっていることが、未経験者には理解できないらしい。

なぜだろうと考えてみた。まず一因は、私の文章が知らず知らずのうちに「お産に出会い腹立たしい思いをしてしまった者」の目で出産を論じているため、お産で私と同じような思いを体験した人では、即座に感情移入ができただろうということである。これについては、私かもっと静かに語りかけるような文章を書くよう努力せねばならないと思った。

第二には、出産を体験することによって、女性たちの心からはじめて分厚い岩のようなベールがはがされ、お産の真実の姿が見えはじめてきたためではないか、と言うことができる。お産をしてはじめて「なIんだ、お産て産婦が産むことじゃないか」と気づいた私。「お産は誰がついていてくれてもどうにもならん、私かするしかないんだから、いざという時のために助産者が一人いてくれたら、あとは私一人でいい」と夫参加を希望しないで二人目を出産した友人。このくらい、「産科医にしかお産はわからない」という意識が、お産をしたことのない人にとっては強烈である。したがって、体験者たちの体験的なお産情報を助産者にもわかる表現(共通言語化して)で収集することは、現在のお産状況の突破口になるのではないかと思う。