2014年10月4日土曜日

患者の意向を代行する

「ちょっと手をあててくれたら、やすまるかもしれないのに手あてという言葉がなくなったというけど、うんこういうことなのねと思った」先端医療機器がハバをきかす時代に生じるギャップ。発作はおさまったのに、ちょっと面白くない空気が、治療する側にもされる側にも残ってゆく。すき間風である。内視鏡検査のあと、やはり手術と決まった。手術日は入院して五十二日目の十月十九日。「切ればなおる。悪いところをとってしまえばいいのだ」と鳥海さんは前向きに考えたのだった。看護婦のAさんが烏海昭子さんの受持ちと決まったのは、手術が確定し、それまでの口腔外科病棟から消化器外科病棟に転入してきた十月初旬であった。

Aさんは勤続二十年をこえるベテラン。手術室をふり出しに主として外科系の病棟で働いてきた。少女のころは俳優志願だったという。実際に都内の小さな劇場の舞台に立ったこともある。生活を支えるために看護婦、演劇は余暇活動との二筋道を考えたが、演劇仲間は本職一本ヤリだ。本職派のなかで余暇派のAさんは孤立、結局看護婦の一筋道を歩むことになった。結婚は選ばなかった。一九五一年の生まれ、戦後世代である。Aさんの鳥海さんについての印象は努力か要りそうだの一語にまとめられるだろう。入院すると患者についての記録が日ごとに集積されてゆく。本人の氏名、性別、生年月日、住所、家族関係や職業の有無や具体的な暮らし、誰と同居しているかはもとより、とくに患者にとってのキーパーソン(経済的なことも含めてもっとも身近で信頼をおいているひとの意)の特定が、大事なこととしておこなわれる。患者の意向を代行するとともに、病院側の意向も伝えて、常に合意を形成し、変化に適切に対処してゆくために選び出されるのが、キーパーソンである。

こうした患者本人についての一定のプライバシーを含んだ情報のほかに、もちろん医師によるカルテ、検査結果、さらに病棟詰めの看護婦による患者の日常の観察記録(血圧、脈拍、体温、食事や排泄排尿、自立の度合い、投薬、処置とその評価が時々刻々記入される)や看護計画がつくられてゆく。ナースステーションの見やすい棚には、入院患者ひとりひとりの動静が分・時単位で記された分厚いドキュメントが保管され、そこに患者像が把握されている。Aさんが鳥海さんについて努力を要すという印象を持ったのは、他病棟に入院した時点からの各種の記録、カルテ、情報がそのモトになっていたわけだが、そこでの鳥海さんへの評価は、①ストレスが強く、②わがままで、③気むずかしい患者となっていたのだった。

記録のなかには、ひとつの事件が記されていた。仮にそれを結膜炎事件と名づけておく。鳥海さんは入院十三日目に、突然目がまっ赤になった。当時、病室には見舞いの花が続々とどけられていたのだが、そのうえ、ある民放TVの番組に出演を依頼され、録画どりの終わった直後というめぐりあわせで、TV局から大きな花かごがトーンと届けられた。とたんに鳥海さんは花粉症の症状よろしく、くしゃみと涙にせめられ、目はまっ赤に充血してしまった。折りあしく土・日がはさまり、眼科の診療を受けるまでにはそのままの状態で、まるまる二日過ごさねばならなかった。診察の結果、これは悪質なハヤリ目と診断され、ただちに隔離されることとなった。個室に隔離された。そこまではまあよかった。

個室の高額な請求書がすぐにとどいて、鳥海さんはバクハツした。ハヤリ目の診断の際「あんた、どっからこんなもの持ってきた? 潜伏期間は十日ですからね」と言われた。「十日前はすでにこちらの病院に入院しておりました」。憤然として言い返したが、ともかくなおすのが先決だから隔離された。請求書が怒りを倍増させた。「入院中にもらったハヤリ目でも、それは患者個人の有責事項になるのか。高い個室に隔離されてその部屋代まで請求されるとは、患者をふんだりけったりするのと同じではないか」折りしも講演の日程がきていた。検査だけの期間だから出かけたいという希望を持っていた。「こんな不誠実な病院にはもういられない。出してほしい。出してくれないなら窓からとびおりる」