2014年8月7日木曜日

バブル景気の罪と罰

その第一に、銀行などの金融機関が土地や株の購入に対して行った巨額の融資が不良債権、つまり返済不能になったことだ。金融機関は、自己資本の一定倍率までしか資金貸し出しができない。その倍率を、国際業務を行う銀行では五倍(自己資本比率八%以上)、国内業務だけを行う機関では二五倍(同四%以上)と定めている。

不良債権が増えれば自己資本は減る。従って銀行は急速に貸し出しを減らさなければならない。このため、九七年頃からは健全な企業からも返済を求める「貸し渋り」現象が拡がった。これでは、健全な企業も営業できなくなってしまう。資金は経済の血液だ。金融機関はその循環を司る心臓に当たる。日本経済は、その心臓の障害によって、貧血状態に陥り、枯死寸前にまで追いつめられた。それが九八年の大不況である。

バブル景気の第二の罪は、日本経済に対する楽観的な予測で過剰な施設を大量に造らせたことだ。オフィスビルやスーパーマーケットやホテルといった商業施設をはじめ、各種の工場やテーマパーク、リゾート、ゴルフ場までが過剰に造られた。ところが、予想したほどには日本経済は成長せず、バブルの崩壊とともに需要が減退した。

この結果、あらゆる分野に設備過剰ができた。使われないビル、引き合わない商業施設、操業率の低い工場、お客の来ないテーマパークやリゾートなどが全国に溢れている。こうした過剰施設は、企業や自治体に重い借金を残しただけではなく、新しい投資を抑え、長期不況と日本の設備の老朽化をもたらしている。

第三の罪は、コストの高騰である。土地の値段が二倍にも三倍にも上がったため、投資費用が嵩んだ。このため、「こんな高い土地に建てるのなら、設備の建設費は少々高くとも大したことはない、銭を惜しまずやれ」という風潮が拡がった。土地の値が一〇〇億円もするのなら、そこに建てるビルの建設費が一〇億円でも二〇億円でも大した差ではない、という感覚に陥ってしまったわけである。