2013年7月4日木曜日

アジア全体で始まる生産年齢人口減少に備えよう

高齢化率なる、高齢者の絶対数を総人口で割った数字の上昇ペースは少々は緩和されますが、高齢者の絶対数の増加には一人の変化も起きませんので、高齢者福祉や医療関連の負担の激増にも一円の違いも生じません。これまた率ばかりみて絶対数をみないマクロ経済系思考の人の一部が陥りやすい過ちです。加えて相対的に低所得の労働者を増やすということであれば、税収や年金財政にもたいした好影響は生じないでしょう。外国人受け入れは、少子化に伴う現役世代減少への対策には(多少なりとも)なりえますが、有効な高齢化対策にはならないのです。

以上のようなご説明にもかかわらず、「中国から移民は来るだろう」と漫然と考えている方もおられます。彼の地で劇的に進んでいる少子化をご存じないわけです。〇〇年当時の統計ですが、中国の一〇-一四歳の子供は一億三五〇〇万人(ほぼ日本人と同数ですね)、それに対して〇-四歳の乳幼児は六九〇〇万人。つまり六万人近く、率にして四五%もの少子化か九〇年代に進んでいたのです。次の調査は今年(一〇年)なのですが、この間の経済発展↓出生率低下を考えますと、恐らくさらに劇的な乳幼児の減少が起きているでしょう。中国研究者からの伝聞ですが、上海の場合ですと出生率はもう〇・六五、日本で一番出生率の低い東京都のさらに三分の二以下の水準だというのです。孫世代の人口が祖父母世代の九分の一になってしまう恐るべき状況です。

一人っ子政策が遅れて効いて来たわけですが、いまさらそれを撤回すればいいというわけではありません。〇〇年当時の一〇-一四歳が出産適齢期にさしかかってきた今はまだ子供も多いのですが(彼らの数が多いので今は大学卒業生も余っています)、〇〇年当時の〇-四歳が出産適齢期にさしかかる二〇年後以降には、親世代のドラスティックな減少が起き(その頃には大学卒人材も大幅な不足になります)、出生率如何にかかわらずさらなる出生者数の低下が不可避だからです。他方で、若者が下放された六〇年代後半の文革期に生まれた非常に数の多い世代(彼らも一億二七〇〇万人とほぼ日本人と同数です)が、三〇年あたりから高齢者になっていきます。

数の多い今の若者が消費意欲旺盛な三〇代や四〇代前半になるその頃までは、中国の内需はまだまだいくらでも伸びますし、日本もそのおかげで潤うことでしょう。しかしその後の中国は、日本をはるかにしのぐスケールで、凄まじいばかりの人口成熟に突入していくのです。中国が移民を出すどころの騒ぎではありません、彼らが億単位で移民受け入れを必要とすることになるでしょう。その横では、日本の半腰のような受け入れ努力など吹っ飛んでしまいそうですね。インドは大丈夫だろうという方が多いですね。確かに当面、インドの生産年齢人口増加は続きそうです。ですが五〇年後はどうでしょうか。というのも、インドの〇一年時点の人口ピラミッドを見ると、五五年(昭和三〇年)時点の日本とそっくりなのです。

つまり、五-九歳の子供(五五年当時の日本の場合には団塊世代)がどの世代よりも数が多く、〇-四歳の子供はそれよりも少なくなっている。恐らくインドの近代史上初めての現象ですが、国が少々豊かになり始めたことで少子化か始まっているのです。「そんなのは続かない」という人もいるかもしれない。確かに昭和三〇年に「いずれ日本の人口は減る」なんて勇一言しても誰も聞かなかったでしょう。当時の日本はまだ食糧不足で、ブラジルに移民をどんどん出していた最中でした。でもその後の半世紀に、状況はすっかり変わりました。日本や中国ほど極端なペースになるとは思えませんが、私は大なり小なりインドでも少子化か進んでいくものと確信しています。

『生産年齢人口の減少を少しでも弱める

今後五年間に六五歳を超えていく団塊前後の世代だけでも一千万人以上います。これに対して、日本在住の外国人は不法在留者を足しても二二〇万人、団塊前後の世代の二割程度しかいません。これは在日韓国人・朝鮮人の六〇万人を含む数字なので、見た目で、あるいは話せば外国人とわかる人の数はそれよりさらに少ないわけです。ちなみに過去一〇年間の増加は留学生を含め六〇万人、毎年の増加は六万人というペースです。これに対し○五年から今年までの足元の五年間だけで日本在住の生産年齢人口は三〇〇万人以上減っているものと見られます。毎年六〇万人、外国人流人実績の一〇倍の速さです。さらにその後の五年間にはもう四五〇万人、二〇年先までだと一四〇〇万人、四〇年先まででは三二〇〇万人の減少を、社人研は予測しているわけですが、このレベルの減少を現在二〇〇万人少々しかいない外国人を急増させることで補えるものと、つまり年間六万人の増加を突然に一〇倍以上ペースアップさせることが可能であると、本気で考えている人がいるのでしょうか。

三年の間に今の外国人人口が倍増するというようなペースを延々と続けなければならないことになりますが、そんな数の人がどこから来るというのでしょう。住民の少子化を外国人で補っている代表的な国といえば、アジアではシンガポールです。居住者の三人に一人が外国人ですが、それでも絶対数では一七〇万人程度。上地に限りもありますので、計画では最大でも今の二倍くらいで打ち止めということになっています。そのくらいの絶対数であれば、そもそも英語も中国語も十分に通じる多民族国家で外国人も(日本人も)まったく違和感なく住める場所ですし、達成も可能でしょう。でももう一七〇万人程度では、日本では焼け石に水にしかなりません。団塊前後の世代の六分の一以下にすぎませんから。

オーストラリアも移民を受け入れていますが、そもそも総人口が二千万人少々しかいませんので、三年で二〇〇万人というようなペースでの受け入れなどやっておりません。移民受け入れに積極的なスウェーデンの例を参考にすべきだという議論がありますが、ここの人口は九〇〇万人ですから、仮に日本並みの年間数万人の流入でも効果は出ます。ですが絶対数で考えれば、一億三千万人近くが住む日本で進む、ゆくゆくは数千万人単位に及ぶ生産年齢人口減少を、補えるだけの外国人流人はありえないのです。「中国から来るだろう」という人がいるかもしれませんが、中国側の人口の事情で、それは天地がひっくりかえっても不可能です。もう少し先でご説明します。

「絶対数が合わないということはわかった。それでも『生産年齢人口の減少を少しでも弱めよう』と言うのであれば、労働市場の門戸開放はすべきだ」という方もいらっしやいましょう。ですが、そのコストは誰が払うのでしょうか。企業や農家は安価で優秀な労働力さえ手に入ればいいのかもしれませんが、移民の住居確保、子弟の教育、医療・福祉・年金面での対応、高齢両親呼び寄せへの対応など、さまざまな課題はすべて、公共部門に押し付けられることになりましょう。自動車産業地帯などでは現にそうなっているわけですが、歳入不足の自治体がこれに機動的に対応している例は少なく、大量の未就学児童が放置されているとも言われます。彼らが成人して貧困を再生産するようになれば、欧米のように、人種差別と階級間格差の結合した社会問題が、わが国でも深刻化していくことになりかねません。

外国人労働者は人権を有する人間であって機械ではありません。人間を迎え入れる以上、人間としての生活を送ってもらえるようにするためのコストはかかるのでありまして、そういうコストをかけずに外国人だからといってこき使うような地域は必ずモラル面から崩壊していきます。しかも彼らは相対的に低所得である以上、自治体などの負担はそれだけ重くなります。そういう自覚なく、安価な労働力獲得だけを求める企業は、社会へのフリーライダーとして批判されるべきでしょう。さらに皆さん、忘れてはいけません。仮に外国からの移民受け入れを増やすことでいささかなりとも生産年齢人口の減少ペースを緩和できたとしても、そのこととは一切無関係に高齢者の絶対数の激増が続きます。