2013年11月5日火曜日

伝統文化の位置づけ

ブータンの近代化は、近代化すなわち西欧化という観点から、明治維新の文明開化のかけ声の下に、暦、医学、服装といった生活の根幹をなす分野まで、一〇〇〇年余にわたって築き上げられてきた自国の伝統を棄て、西欧化しようとした日本のそれとは、まったく好対照である。ブータン政府は、近代化の初めから、ブータンの国としてのアイデンティティの源泉であるユニークな伝統文化を守るという立場がはっきりしており、そのために公式の場での民族衣装着用の義務とか、公私を問わずすべての建物における伝統的建築様式・意匠の遵守といった法的措置も講じられている。

たとえば暦は、現在でも伝統的なブータン暦とグレゴリウス歴(太陽暦)が併用されている。ブータン暦は、日本の旧暦同様、月と太陽の両方の運行を考慮に入れた太陰太陽暦である。国民の大半が農業に従事し、仏教徒であるブータンでは、農作業も、お祭り・法要など仏教的性格の年中行事も月の満ち欠けと深く関わっている以上、月の運行が考慮されていない、それ故に日付と月齢が対応していない西洋暦では、実生活に役立たない。たとえば、ブータン各地でもっとも盛大なお祭りであるツェチユ(一〇日)祭は、その名のとおり月の一〇日、すなわち月齢が一〇日の日に行われる。

その日はブータン暦では必ず月の一〇日に当たるが、西暦では月のどの日に当たるかが、年ごとに、月ごとに異なり、暦からはツェチユ祭がいつになるのか見当がつかないという不都合が生じる。その他、日の吉凶、運勢といった今でもブータン人にとって重要な事柄は、すべてブータン暦に基づいて算出されている。それ故に、日常生活では今でもブータン暦が用いられ、西暦を用いている諸外国とも関わる公式行事(たとえば、一二月一七日の建国記念日)とかはグレゴリウス暦が用いられているが、いずれの場合も、両者が併記されている。医療に関しても、西洋医学と伝統的な医療の双方が行われている。古来ブータンは「薬草の国」として知られているだけあって、生薬による治療が普及している。

伝統医学は、高血圧、消化器障害、アレルギー、リューマチ、不眠症といった症状にはことのほか効き目があり、免疫性を高めるのにも優れているが、外科手術はなく、様々な急性疾患とか伝染病には無力である。現在のブータンの医療政策の注目すべき点は、こうした伝統医療の長所と限界を認識した上で、伝統医学と近代西洋医療を統合させようとしていることである。たとえば、急性アレルギーの患者に対しては、ドゥンツォ(伝統医学の医師)は詳しい診脈、尿および血液の検査をした後、まずは抗ヒスタミン剤による短期治療のために西洋系の逆症療法を施す病院に委ね、その後患者を再び呼び戻して伝統的生薬による長期治療を施したり、数日間の湯治を勧めたりする、といった具合である。

第四代国王の四人の王妃の一人ドルジエーワンモーワンチュックは、本書の冒頭で引用した『幸福大国ブータンー王妃が語る桃源郷の素顔』の中で医療に関して、こう述べている。「先進国の逆症療法を基本とした西洋医学を施す医師たちも、伝統的な植物性・動物性生薬に蕎づく伝統医療にたいして同じような柔軟な態度で臨んでくれたらすばらしいことでしょう」西洋医学と、その他の文化圏での様々な伝統的医療(たとえば漢方とがインドのアーユルヴェーダ医療)の融合という点で、ブータンはまさに模範的な例である。