2014年6月18日水曜日

ミュルダールの誤謬

ミュルダールは、その大著『アジアのドラマ』(板垣興一監訳、東洋経済新報社、一九七四年)のなかで、「基本的な改革を制度化し社会的規律を強いる能力も意思もない」アジア諸国の政治体制に言及し、かかる体制下の国家を「ソフトーステート」と呼んだ。しかしこのような表現は、事実を正確に反映しているようにはみえない。NIESはいうにおよばない。ASEAN諸国もまた秀でた能力と権力をもつ経済官僚テクノクラートが、軍部・政治エリートの支持を背景に経済計画の立案と施行の中枢を占め、財閥系企業と外資系企業をこの計画に参画させつつ、急速な工業化をになってきたのである。

権威主義開発体制は、現在のASEAN諸国において、NIESとならぶもうひとつの具体的な事例を新たにつくりだしつつある。政権崩壊という事態にいたったマルコス体制といえども、その政権が「基本的な改革を制度化し社会的規律を強いる能力も意思もない」がゆえに発生した悲劇的終末では決してない。社会改革を強くめざしながらも、国際経済情勢と権力者の強引な経済運営が改革のシナリオを狂わせてしまったがゆえの悲劇なのである。

長期にわたる植民地支配の時代にあって、近代的工業発展の基礎的諸条件を剥奪されてきたASEAN諸国が急速な工業化をめざす以上、植民地独立戦争の過程で近代的組織運営能力を身につけた軍部・政治エリートが開発の主導権をにぎり、彼らが育成したテクノクラートと協働して経済近代化を運営したのは、自然であった。

ASEAN諸国の場合、企業家的職能を有していたのは長らく華僑・華大系住民以外にはなく、「アメとムチ」をたくみに使ってこの華僑・華大系企業を開発の直接的なにない手とし、さらにまた華僑・華大系企業を導入した外国企業の合弁先としてきたのも、いたし方ない。政府が経済近代化の資源をしだいに蓄えていくとともに、国営・公営企業が華僑・華人系企業や外資系企業とならぶもうひとつの主役となっていったのであるが、これも民族系企業が不十にしか育成されてこなかったASEAN諸国にとっては他に選択肢のない方途であった。