2014年5月2日金曜日

戦後日本人は頑張った

わずか半世紀前の敗戦直後は、ほんとうにひどかった。食べるものもなくて腹を空かすのが惨めなことは、言うまでもない。だが、ただそれだけではなかった。敗戦それ自体のショックがあり、敗戦に伴って、価値が一八〇度変わってしまったことが、ほんとうにつらかった。いったい何を信じて生きればいいのか、子どもはもちろん、大人たちにもよくわからなかった。学校の先生たちも、どこか投げやりだった。

その当時のエピソードとしていまもしばしば語られるのは、教科書の(アメリカ占領軍から見て)不適切な箇所を、墨で塗りつぶして消したことである。中学一年生だった私は、もちろんそれを経験した。新しく持ち込まれた民主主義が、教室で教えられた。私は、民主主義とは、いちおうはけっこうなものだとは思ったが、心からすばらしいとは思わなかった。民主主義の時代だというわけで、遠足の行き先まで生徒の投票で決め、「天の川」という票が出たこともあった。民主主義とはその程度の(いい加減な)ものだという感じは、いまも私の心のどこかに残っている。

何年ぶりかでアメリカ映画が入ってきて、現代劇を見ると、当時のアメリカ人の生活が手に取るようにわかった。民主主義とちかってこちらのほうは、ほんとうに夢のようにすばらしかった。私たち日本人も、いつの日かあのような生活ができるのだろうかと、私は時に考えた。「たぶんそんな日は永遠に来ないだろう」と考えて、妙に悲しかったことを、いまもはっきりと覚えている。当時、名古屋郊外の国道一号線で、キャッチボールをして遊んだ経験が、私にはある。モータリゼーションのいま、信じられないような話だが、モータリゼーション前は、車の数がそれほど少なかったのである。

それが、あっという間にアメリカに追いついてしまった。巨大都市の住宅のように、アメリカに見劣りする点も若干あるけれども(それにしても、アメリカの「郊外」の住宅は、いささか広すぎるのではないか)、治安がよくて夜も安心して一人歩きできることとか、商店のサービスのよさ・きめこまかさとか、社会の平等性など、日本のほうがいい点も考慮に入れて総合的に判断すると、日本の生活がアメリカにはるかに及ばないなどとは、いまやとうてい言えないだろう。つまり、大筋において、日本はアメリカと肩を並べた。