こうしたちょっとした差が生み出す大きな格差と、全てにおいて要求されるスピードが苦手な人は、そもそも外資系を目指さないほうがよいだろう。但しこの不条理と速度感は、停滞する日本企業が外資系から積極的に学ぶべきことでもあると私は考えている。外資系で実績を増やす有力な方法の一つは、「顧客を沢山抱え、頼りになる知人を持つこと」だ。あえて「友人」とは言わない。学生時代や日系企業で働いている時からの友人ならばそう呼ぶべきだが、一般的に「外資系の社会では友人はできない」と思ったほうがよいので、ここでは知人という言葉を使うことにする。
知人は社内、社外、両方で作ることが可能だ。社内であれば、同僚、斜めの位置にある上司(同僚の上司という意味)や部下が対象となる。これは何度も書いていることだが、外資系では直属の上司、部下の関係が全てであるから、知人の候補から上司と部下は排除される。上司の上司、部下の部下も同様の理由で知人の対象にならない。余談だが、上司の上司について述べる。日系企業と違って外資系では、上司の上司を自分の保身のために使おうとすると、大火傷することがあるので要注意だ。その理由は、上司の上司の目から見れば、あなたの上司は彼(彼女)の直属の部下であり、部下の忠誠心をつなぎとめておくためには、それ以外の要素は全て不要、有害であるからだ。
仮にあなたが直属の上司と仕事上で対立して、上司の上司に直訴したと考えてみよう。あなたの言い分かもし正しいとしても、それがよほど重要なことでない限り、上司の上司はあなたの上司の肩を持つ。たとえそのためにあなたが離職したとしても、彼にしてみればあなたの上司が辞めるよりもダメージは圧倒的に少ない。日本企業でよくある上司を飛び越えての直訴は、あなたが会社を辞めてでも意見を通したい場合でない限り、外資系ではすべきではない。このことを勘違いする人は案外少なくない。
上司にとって自分を頭越しにする部下の直訴は反乱と同じである。反乱分子は取り除くしかない。直訴はあなたとあなたの上司の関係を決定的に悪くする。上司の上司は必ずあなたの上司に直訴のことを告げ、そして上司の言い分を尊重するだろう。つまりあなたにとって得なことは一つもない。外資では「損得」が全ての価値基準であり、「正邪」は不要かつ有害な判断基準である。たとえそうであっても「上司の仕事が見苦しい、正しくない」と言い張るメリットはゼロであり、デメリットは数限りなくあるということである。だから外資系で上司に従いたくないと思った時には離職するか、一か八かで反乱する(つまり直訴する)しかない。しかし、後者の成功率が限りなくゼロに近いのは前述の通りである。
話を戻すと、顧客の力と社内外の知人の力は、最終的には上司一人の力に及ばない。上司と対立した場合、お客さんも社内外のサポーターも最後には助けてくれない。しかし、上司や部下との人間関係が良好な時は、こうした人々の存在が安全弁となる。顧客に自分のことを褒めさせる、社内の斜め関係の上司に社内ミーティングで自分の意見を支持してもらう、といったやり方であなたの地位は少し安定する。何かのきっかけで離職することになったとしても、彼らはあなたにとってありかたいレファレンス(照会先)となる。顧客や社外の知人によるあなたを推奨する言葉は、社内の知人のそれよりも格段に強いが、多くのヘッドハンターはこのことに気づかない。
2015年3月5日木曜日
東西のホームの料金システムの違い
老人ホームといえば、もう一つ驚いたことがある。上の妹が大阪の自宅に近いホームのパンフレットを送りっけてきたとき、中身をみたら、毎月の経費は、たまに親たちをショートーステイさせる東京のホームにくらべるとやや安いが、そのかわり洗濯代はパンツー枚いくら、シャツ一枚いくらと、出した数に応じて別途請求する仕組みである。テレビは一〇〇円玉を入れれば何分間見られる、部屋の掃除代はいくら、トイレの掃除は別料金、とやたら細かい。逆に食費は、前日までに断ればその分だけ差し引く。
銀座の協会事務所でもらってきた関東一円のホームのパンフレットでは、例外なく、細々したものがすべて込みで、月極めいくらになっている。標準的な生活を想定して試算してみると、東京のほうが若干安くつく。なぜこんなにシステムが違うのか、親たちが利用するホームの事務長に電話して聞いたら、関西はこれがふつうなんです、という。
食わなかったのに食費をとるとは何事だ、と必ずクレームがつく。洗濯代を込みにしておくと、どうせタダならやってもらおうやないか、と見舞いついでに家から汚れ物をごっそり持ってくるのが現れる。
東京ではあまり細かいことをいうと嫌われる傾向があるが、関西、とりわけ大阪では、単価をつけていちいち積算しないと通用しないそうだ。同じ日本の中でこれだけ対照的なのは、ええカッコしいの東と、カネにシビアな西とて、いわば人生のレールの幅が違うからだろう。
だれが入居一時金を出すかによってホームに入る老人の尻の落ち着き方がまるで違う、という話は、自分で終の栖を設定することができる人生を送ってきた人間、自分の責任で自分の生涯の幕を引くことができる生き方をしてきた人間と、そういうふうには生きてこなかった人間との、対比の問題である。しっかりした責任感のもとでレールを走ってきたかどうか、という違いである。
超高級有名ホームでの入居者間の微妙なサヤ当ての話は、基本的に自己責任原理に立って生きてきた人たちの間でも、それまでの生活環境や生活感覚が、似通っていれば似通っているなりに、ズレていればズレているなりに、一つの終着駅に合流して暮らすのは容易でない、ということを物語っている。生活感覚とは人生の乗り心地のようなもので、少しでも感じが変わると、老人になればなるほど快適感が失われ不快感が募るのだろう。
東西のホームの料金システムの違いは、介護サービスにも風土性が色濃く反映する、という事実を示している。駅のホームで、東京にくると大阪人も列に並ぶが、大阪にいくと東京人も列をつくらず先を争って乗る。これは善悪以前の、上地の気風がにじむ流儀のようなものだが、老人になると身に染みついた流儀を変えにくい。行政にありかちな一律のサービス姿勢では、各地で摩擦が多発しかねまい。
銀座の協会事務所でもらってきた関東一円のホームのパンフレットでは、例外なく、細々したものがすべて込みで、月極めいくらになっている。標準的な生活を想定して試算してみると、東京のほうが若干安くつく。なぜこんなにシステムが違うのか、親たちが利用するホームの事務長に電話して聞いたら、関西はこれがふつうなんです、という。
食わなかったのに食費をとるとは何事だ、と必ずクレームがつく。洗濯代を込みにしておくと、どうせタダならやってもらおうやないか、と見舞いついでに家から汚れ物をごっそり持ってくるのが現れる。
東京ではあまり細かいことをいうと嫌われる傾向があるが、関西、とりわけ大阪では、単価をつけていちいち積算しないと通用しないそうだ。同じ日本の中でこれだけ対照的なのは、ええカッコしいの東と、カネにシビアな西とて、いわば人生のレールの幅が違うからだろう。
だれが入居一時金を出すかによってホームに入る老人の尻の落ち着き方がまるで違う、という話は、自分で終の栖を設定することができる人生を送ってきた人間、自分の責任で自分の生涯の幕を引くことができる生き方をしてきた人間と、そういうふうには生きてこなかった人間との、対比の問題である。しっかりした責任感のもとでレールを走ってきたかどうか、という違いである。
超高級有名ホームでの入居者間の微妙なサヤ当ての話は、基本的に自己責任原理に立って生きてきた人たちの間でも、それまでの生活環境や生活感覚が、似通っていれば似通っているなりに、ズレていればズレているなりに、一つの終着駅に合流して暮らすのは容易でない、ということを物語っている。生活感覚とは人生の乗り心地のようなもので、少しでも感じが変わると、老人になればなるほど快適感が失われ不快感が募るのだろう。
東西のホームの料金システムの違いは、介護サービスにも風土性が色濃く反映する、という事実を示している。駅のホームで、東京にくると大阪人も列に並ぶが、大阪にいくと東京人も列をつくらず先を争って乗る。これは善悪以前の、上地の気風がにじむ流儀のようなものだが、老人になると身に染みついた流儀を変えにくい。行政にありかちな一律のサービス姿勢では、各地で摩擦が多発しかねまい。
2015年2月5日木曜日
政党助成金は企業・団体献金の廃止・縮小とワンセットのはずだった
本来、政党助成金は企業・団体献金の廃止・縮小とワンセットになっていたはずだった。しかし自民党が過去五年間にやったことは、企業・団体献金収入を大幅に増やす、まったく逆の動きであった。
それどころか、同党政治改革本部は九九年十月二十五日の総会で、政党助成金を減額する代わりに、九五年一月施行の改正政治資金規正法に明記された政治家個人への企業・団体献金について、「施行五年後にこれを禁止する措置を講じる」とした付則九条を削除する方針を決めた。
法律の規定を反故にするこの決定に世論や野党は一斉に反発、あわてた自民党執行部は、政治資金規正法の規定に沿って二〇〇〇年一月から政治家個人への企業・団体献金禁止の方針を決めた。まことにお粗末としか言いようのない経過であった。
結局、政党への企業・団体献金はどうなるのか? 改正政治資金規正法は付則十条で、法施行後五年で個人献金の伸び具合や政党財政の状況をみて、企業・団体献金を見直すとうたっている。
だが、小渕首相は国会答弁で、「見直して削除もありうる」と、付則十条を削除して、企業・団体献金の永続化を図る方向を示唆した。さらに問題なのは、政党助成金総額を五年後に「見直す」とした政党助成金法付則六条についても、自民党が削除を画策していることだ。
もともと政党助成金は、政党の支持、不支持にかかわらず、政党への寄付を国民一人ひとりに強制する、憲法違反の国庫からの支払い行為である。
個人献金を増やす努力を怠り、政党への企業・団体献金を存続させ、政党助成金とともに懐に入れる「二重取り」は、それ自体が大きな問題をはらんでいる。
政党向け企業・団体献金と政党助成金はこの際きっぱりと廃止して、政治資金は個人献金一本に絞るべきだ。それが政治を浄化する最短の道である。
それどころか、同党政治改革本部は九九年十月二十五日の総会で、政党助成金を減額する代わりに、九五年一月施行の改正政治資金規正法に明記された政治家個人への企業・団体献金について、「施行五年後にこれを禁止する措置を講じる」とした付則九条を削除する方針を決めた。
法律の規定を反故にするこの決定に世論や野党は一斉に反発、あわてた自民党執行部は、政治資金規正法の規定に沿って二〇〇〇年一月から政治家個人への企業・団体献金禁止の方針を決めた。まことにお粗末としか言いようのない経過であった。
結局、政党への企業・団体献金はどうなるのか? 改正政治資金規正法は付則十条で、法施行後五年で個人献金の伸び具合や政党財政の状況をみて、企業・団体献金を見直すとうたっている。
だが、小渕首相は国会答弁で、「見直して削除もありうる」と、付則十条を削除して、企業・団体献金の永続化を図る方向を示唆した。さらに問題なのは、政党助成金総額を五年後に「見直す」とした政党助成金法付則六条についても、自民党が削除を画策していることだ。
もともと政党助成金は、政党の支持、不支持にかかわらず、政党への寄付を国民一人ひとりに強制する、憲法違反の国庫からの支払い行為である。
個人献金を増やす努力を怠り、政党への企業・団体献金を存続させ、政党助成金とともに懐に入れる「二重取り」は、それ自体が大きな問題をはらんでいる。
政党向け企業・団体献金と政党助成金はこの際きっぱりと廃止して、政治資金は個人献金一本に絞るべきだ。それが政治を浄化する最短の道である。
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