東南アジア諸国の工業化が本格化したのは一九八〇年代に入ってからのことであった。この時期、第二次石油危機により彼らの主要輸出先であった先進国経済の全体が低迷し、一次産品市況の停滞と世界的高金利がこれに重なった。その帰結として東南アジア諸国は経常収支の大幅な赤字化、対外債務の累増、財政赤字の巨額化に見舞われた。輸入代替から輸出志向に転じる構造転換はまったなしの状況となった。そうして保護主義的諸政策を転換するための一連の規制緩和がこの時期に開始された。
東南アジア諸国は政府の経済介入を抑制し、民間企業の活力と市場メカニズムを発揚させることによって資源配分の非効率性向上を狙った。この政策転換には高い評価が与えられねばならない。政策転換の過程で日本とNIESの投資が集中するという幸運にも恵まれ、その工業化は本格化した。一九八〇年代後半期以来の円高ならびにNIES通貨高により、東南アジア諸国工業製品の相対競争力が強化された。のみならず、日本・NIES企業の対東南アジア諸国投資が集中的に発生した。東南アジア諸国の輸出はこれにより一挙に増加した。NIESにつづく東南アジアの経済的奇跡の到来である。
東南アジアの政治システムはしばしば「開発独裁」と呼ばれ、「権威主義開発体制」と称される。確かにそういっていいであろう。植民地独立闘争を勝利に導いた軍・政治エリートがその実績を背景に強力な指導力を発揮して有能な官僚テクノクラート集団を創成し、後者に経済建設のための権力と威信を集中してことにあたらせた。このテクノクラートの作成した開発計画に向けて、企業家、労働者、経済資源を動員していくという集権的な開発体制がNIESはもとより東南アジア諸国でもとられた。
東南アジア諸国の政策転換能力の高さはこのテクノクラートの能力の高さを反映する。開発政策における試行錯誤がテクノクラートに豊富な経験とノウハウを蓄積させ、彼らを鍛えてきたのである。本章に収められているのは、長らくその発展の可能性に懸念がもたれてきた東南アジア諸国がいかにして今日を築いたのか、その発展の態様ならびに発展をもたらした政策や体制、さらには国際環境などについての著作に関する私の評である。東南アジア諸国の政治、経済、社会の矛盾について論じている著作もあるが、それらも矛盾のゆえに東南アジア諸国が停滞しているといった主張ではなく、発展の結果とした新たに生まれた矛盾についてのものがほとんどである。
顧みてこのことは画期的である。序章でも指摘したようにアジア論といえばすなわち停滞論だというのがつい先だってまでのことだったからである。停滞論の代表作を記しておけば、「構造の緩やかな社会論」「ソフトステート論」(ミュルダール『アジアのドラマー諸国民の貧困の一研究』一九七四年、板垣興一監訳、東洋経済新報社)、「小型家産制国家論」(矢野暢「東南アジアを解く小型家産制国家の理論」『中央公論』一九七九年三月号)のごとくである。
時代はやはり大きく変わったのだといわねばならない。後れて発展への胎動をみせているインドに関する著作への評も本章で掲載した。東南アジアについて論じた私の著作としては『成長のアジア停滞のアジア』(一九八五年、東洋経済新報社)、『アジア経済の構図を読む』(一九九八年、日本放送出版協会)などを参照されればと思う。一九九七年七月以降の東南アジア通貨・金融危機については別に論じる。
2014年11月5日水曜日
成長の時代に定着した日本型賃金慣行
このように見てくると終身雇用という観念は通念として流布はしていても、それを支える制度もまた実態も確立してはいない事が明らかである。そして終身雇用といえるような長期安定雇用を維持しようとするならなんといってもその基本的条件は経済成長であり、また労働力の人的資本の価値である事が明らかであるといえる。
そうであるとすれば、いわゆる終身雇用的な雇用のあり方をこれからも維持してゆくためには、単に雇用調整を抑制するのではなく、むしろ新たな雇用需要を創出するような経済成長や生産構造の改革を進め、人々が新たな技術に対応できるよう人的投資によって人的資本の価値を高めてゆく事が基本となる。そしてまた、適材が適所に配置されるよう労働市場の情報ネットワークを整備し、適切な流動化を進める事を政策の基本に置かねばならないだろう。こうした政策的課題については最終章で詳述することにしたい。
日本企業の賃金慣行には大別して二つの際立った特色がある。ひとつはいわゆる年功賃金であり、いまひとつは春闘による年々のベースーアップすなわち賃上げである。この両者はともに戦後、とりわけ前述の高度経済成長時代に日本の産業界にひろく普及し定着したものである。以下、この二つについてその中身と、それがなぜ高度成長の時代に定着することになったかをたしかめておくことにしよう。
まず、年功賃金である。年功賃金は賃金が年の功によって上昇する賃金という事である。勤労者が企業内で経験を積むにしたがって賃金串が高くなってゆく賃金体系である。勤労者が同じ企業に勤めている限り、勤続年数がふえると同時に年齢も高まるから、同一企業に定着している労働者にとっては年齢とともに賃金が上昇してゆくようにも見えるが、基本的には勤続年数にしたがって賃金がふえる。中途採用者の場合には年齢が高くても勤続年数が少ないから賃金は低い。企業外での経験年数が考慮される事も多いが、それも通常はあるていど割引かれて加算される。
そうであるとすれば、いわゆる終身雇用的な雇用のあり方をこれからも維持してゆくためには、単に雇用調整を抑制するのではなく、むしろ新たな雇用需要を創出するような経済成長や生産構造の改革を進め、人々が新たな技術に対応できるよう人的投資によって人的資本の価値を高めてゆく事が基本となる。そしてまた、適材が適所に配置されるよう労働市場の情報ネットワークを整備し、適切な流動化を進める事を政策の基本に置かねばならないだろう。こうした政策的課題については最終章で詳述することにしたい。
日本企業の賃金慣行には大別して二つの際立った特色がある。ひとつはいわゆる年功賃金であり、いまひとつは春闘による年々のベースーアップすなわち賃上げである。この両者はともに戦後、とりわけ前述の高度経済成長時代に日本の産業界にひろく普及し定着したものである。以下、この二つについてその中身と、それがなぜ高度成長の時代に定着することになったかをたしかめておくことにしよう。
まず、年功賃金である。年功賃金は賃金が年の功によって上昇する賃金という事である。勤労者が企業内で経験を積むにしたがって賃金串が高くなってゆく賃金体系である。勤労者が同じ企業に勤めている限り、勤続年数がふえると同時に年齢も高まるから、同一企業に定着している労働者にとっては年齢とともに賃金が上昇してゆくようにも見えるが、基本的には勤続年数にしたがって賃金がふえる。中途採用者の場合には年齢が高くても勤続年数が少ないから賃金は低い。企業外での経験年数が考慮される事も多いが、それも通常はあるていど割引かれて加算される。
2014年10月4日土曜日
患者の意向を代行する
「ちょっと手をあててくれたら、やすまるかもしれないのに手あてという言葉がなくなったというけど、うんこういうことなのねと思った」先端医療機器がハバをきかす時代に生じるギャップ。発作はおさまったのに、ちょっと面白くない空気が、治療する側にもされる側にも残ってゆく。すき間風である。内視鏡検査のあと、やはり手術と決まった。手術日は入院して五十二日目の十月十九日。「切ればなおる。悪いところをとってしまえばいいのだ」と鳥海さんは前向きに考えたのだった。看護婦のAさんが烏海昭子さんの受持ちと決まったのは、手術が確定し、それまでの口腔外科病棟から消化器外科病棟に転入してきた十月初旬であった。
Aさんは勤続二十年をこえるベテラン。手術室をふり出しに主として外科系の病棟で働いてきた。少女のころは俳優志願だったという。実際に都内の小さな劇場の舞台に立ったこともある。生活を支えるために看護婦、演劇は余暇活動との二筋道を考えたが、演劇仲間は本職一本ヤリだ。本職派のなかで余暇派のAさんは孤立、結局看護婦の一筋道を歩むことになった。結婚は選ばなかった。一九五一年の生まれ、戦後世代である。Aさんの鳥海さんについての印象は努力か要りそうだの一語にまとめられるだろう。入院すると患者についての記録が日ごとに集積されてゆく。本人の氏名、性別、生年月日、住所、家族関係や職業の有無や具体的な暮らし、誰と同居しているかはもとより、とくに患者にとってのキーパーソン(経済的なことも含めてもっとも身近で信頼をおいているひとの意)の特定が、大事なこととしておこなわれる。患者の意向を代行するとともに、病院側の意向も伝えて、常に合意を形成し、変化に適切に対処してゆくために選び出されるのが、キーパーソンである。
こうした患者本人についての一定のプライバシーを含んだ情報のほかに、もちろん医師によるカルテ、検査結果、さらに病棟詰めの看護婦による患者の日常の観察記録(血圧、脈拍、体温、食事や排泄排尿、自立の度合い、投薬、処置とその評価が時々刻々記入される)や看護計画がつくられてゆく。ナースステーションの見やすい棚には、入院患者ひとりひとりの動静が分・時単位で記された分厚いドキュメントが保管され、そこに患者像が把握されている。Aさんが鳥海さんについて努力を要すという印象を持ったのは、他病棟に入院した時点からの各種の記録、カルテ、情報がそのモトになっていたわけだが、そこでの鳥海さんへの評価は、①ストレスが強く、②わがままで、③気むずかしい患者となっていたのだった。
記録のなかには、ひとつの事件が記されていた。仮にそれを結膜炎事件と名づけておく。鳥海さんは入院十三日目に、突然目がまっ赤になった。当時、病室には見舞いの花が続々とどけられていたのだが、そのうえ、ある民放TVの番組に出演を依頼され、録画どりの終わった直後というめぐりあわせで、TV局から大きな花かごがトーンと届けられた。とたんに鳥海さんは花粉症の症状よろしく、くしゃみと涙にせめられ、目はまっ赤に充血してしまった。折りあしく土・日がはさまり、眼科の診療を受けるまでにはそのままの状態で、まるまる二日過ごさねばならなかった。診察の結果、これは悪質なハヤリ目と診断され、ただちに隔離されることとなった。個室に隔離された。そこまではまあよかった。
個室の高額な請求書がすぐにとどいて、鳥海さんはバクハツした。ハヤリ目の診断の際「あんた、どっからこんなもの持ってきた? 潜伏期間は十日ですからね」と言われた。「十日前はすでにこちらの病院に入院しておりました」。憤然として言い返したが、ともかくなおすのが先決だから隔離された。請求書が怒りを倍増させた。「入院中にもらったハヤリ目でも、それは患者個人の有責事項になるのか。高い個室に隔離されてその部屋代まで請求されるとは、患者をふんだりけったりするのと同じではないか」折りしも講演の日程がきていた。検査だけの期間だから出かけたいという希望を持っていた。「こんな不誠実な病院にはもういられない。出してほしい。出してくれないなら窓からとびおりる」
Aさんは勤続二十年をこえるベテラン。手術室をふり出しに主として外科系の病棟で働いてきた。少女のころは俳優志願だったという。実際に都内の小さな劇場の舞台に立ったこともある。生活を支えるために看護婦、演劇は余暇活動との二筋道を考えたが、演劇仲間は本職一本ヤリだ。本職派のなかで余暇派のAさんは孤立、結局看護婦の一筋道を歩むことになった。結婚は選ばなかった。一九五一年の生まれ、戦後世代である。Aさんの鳥海さんについての印象は努力か要りそうだの一語にまとめられるだろう。入院すると患者についての記録が日ごとに集積されてゆく。本人の氏名、性別、生年月日、住所、家族関係や職業の有無や具体的な暮らし、誰と同居しているかはもとより、とくに患者にとってのキーパーソン(経済的なことも含めてもっとも身近で信頼をおいているひとの意)の特定が、大事なこととしておこなわれる。患者の意向を代行するとともに、病院側の意向も伝えて、常に合意を形成し、変化に適切に対処してゆくために選び出されるのが、キーパーソンである。
こうした患者本人についての一定のプライバシーを含んだ情報のほかに、もちろん医師によるカルテ、検査結果、さらに病棟詰めの看護婦による患者の日常の観察記録(血圧、脈拍、体温、食事や排泄排尿、自立の度合い、投薬、処置とその評価が時々刻々記入される)や看護計画がつくられてゆく。ナースステーションの見やすい棚には、入院患者ひとりひとりの動静が分・時単位で記された分厚いドキュメントが保管され、そこに患者像が把握されている。Aさんが鳥海さんについて努力を要すという印象を持ったのは、他病棟に入院した時点からの各種の記録、カルテ、情報がそのモトになっていたわけだが、そこでの鳥海さんへの評価は、①ストレスが強く、②わがままで、③気むずかしい患者となっていたのだった。
記録のなかには、ひとつの事件が記されていた。仮にそれを結膜炎事件と名づけておく。鳥海さんは入院十三日目に、突然目がまっ赤になった。当時、病室には見舞いの花が続々とどけられていたのだが、そのうえ、ある民放TVの番組に出演を依頼され、録画どりの終わった直後というめぐりあわせで、TV局から大きな花かごがトーンと届けられた。とたんに鳥海さんは花粉症の症状よろしく、くしゃみと涙にせめられ、目はまっ赤に充血してしまった。折りあしく土・日がはさまり、眼科の診療を受けるまでにはそのままの状態で、まるまる二日過ごさねばならなかった。診察の結果、これは悪質なハヤリ目と診断され、ただちに隔離されることとなった。個室に隔離された。そこまではまあよかった。
個室の高額な請求書がすぐにとどいて、鳥海さんはバクハツした。ハヤリ目の診断の際「あんた、どっからこんなもの持ってきた? 潜伏期間は十日ですからね」と言われた。「十日前はすでにこちらの病院に入院しておりました」。憤然として言い返したが、ともかくなおすのが先決だから隔離された。請求書が怒りを倍増させた。「入院中にもらったハヤリ目でも、それは患者個人の有責事項になるのか。高い個室に隔離されてその部屋代まで請求されるとは、患者をふんだりけったりするのと同じではないか」折りしも講演の日程がきていた。検査だけの期間だから出かけたいという希望を持っていた。「こんな不誠実な病院にはもういられない。出してほしい。出してくれないなら窓からとびおりる」
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