福島県、とくにいわき市におけるウソのよう痙ポンドの話である。だが、いわき市の現状は、この国にあって決して特異的なものではない。むしろ典型的なものと考えるべきだろう。いわば、教育矛盾の集中的表現として、いわき市が存在しているといえるのである。「障害」児にも教育を受ける権利を保障しようと、一見美しい言葉によって、五十四年度からスタートする養護学校義務制化。しかしこれは、普通の学校で学びたいという子を「障害」児と決めつけ、養護学校という名の牢獄に送り込むためのアウシュビッツ型制度ではないのか。一九七一年六月、中央教育審議会は、「今後における学校教育の総合的左拡充整備のための基本的施策について」と題する答申を行なった。その左かで、「特殊教育の積極的な拡充整備」にも言及していたが、これが、養護学校義務制化の、直接の出発点であった。
答申を受けた政府は七三年十一月。「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関すふ施行期日を定める政令」を公布。そこでは「学校教育法第二十二条第一項に規定する養護学校における就学義務並びに同法第七十四条に規定する養護学校の設置義務に関する部分の施行期日は、昭和五十四年四月一日とする」と述べられていた。ここで展開されている骨子は、「就学させる義務」と「設置義務」とであるが、これらについては、学校教育法のなかに明文化されている。つまり保護者の「就学させる義務」は、その子女が満六歳に達したときに生じ、満十五歳まで続く。就学させるべき学校は「小・中学校ないし盲・聾・養護学校の小・中学部のいずれか」であるとされている。一方、「設置義務」では、小・中学校は市町村に義務があり、盲・聾・養護学校は都道府県にある、と規定されている。
この学校教育法は一九四七年(昭22)三月三十日公布され、同年四月一日に施行された。「盲・聾・養護学校における就学義務および設置義務に関する部分の施行期日は政令で定める」とされ、それらの就学・設置義務の実施は一時的にペンディングとされた。そして、盲・聾学校の小学部は四八年四月から、同中学部は五四年四月から施行され。残ったのが養護学校(小・中学部)であった。これが七九年(昭和54)から施行されることに痙ったわけである。この間、文部省では「養護学校設置七年計画」(七二年-七七年)、「特殊学級設置十年計画」(七二年-八一年)、「特殊教育諸学校幼稚部学級設置十年計画」(同)を着々と進行させ、これらによって、中教審答申にある「特殊教育の拡充整備」はほぼ完了する、としている。
七一年当時、二百六十一校(生徒数約二万三千人)だった養護学校は、七五年五月には三百九十六校(約三万三千人)に増加しており、養護学校義務化が実施される直前の七八年度中には五百四校(約六万人)にふくれあがる予定になっている。事実、七一年に約二万一千人いた不就学児童が、七四年には約一万五千人に減っている(文部省調べ)。おそらくは、この間に増設された養護学校に就学したものと考えられる。ところで、この「昭和五十四年度養護学校義務制化」に対して現在、全国各地で「障害」児、教育労働者、市民、学生らを主体とする反対運動が幅広く、繰りひろげられている。養護学校義務制化とはいったいいかなる事態を意味するのか、また。「障害」者やその支援団体はいかなる論理で、これに反対しているのか。
そのことを、ただたんに現象的に見るだけでは座く、問いかけの内実を、具体的に考えていく必要がある。そのことが、この世の中に充満する「障害」者差別思想と、それを支える教育体制を打破する契機となり得るに違いないからである。「障害」児の権利奪った教育の歩み。養護学校義務制化に対しては、「各地に養護学校がたくさんできるから、従来、就学猶予・免除にされてきた子どもも教育が受けられるようになる」とか、「養護学校ができたら、その子の能力に応じた教育が受けられる。たんなる教育権ばかりか、実質としての学習権も保障される」という、肯定的な受けとり方もある。むろん、そのような側面もまったくないわけではないだろうが、問題を総体としてみれば、そのよう左肯定面はむしろ、付随的なものといわざるを得ない。
2014年4月17日木曜日
2013年12月25日水曜日
大学の設置認可
例えばゴーマンーレポートもその種のランキングの一つで、一九六七年以来、何年かごとに大学ランキングを発表している。これは学部課程レベル、大学院レベルに分けて、主としてアメリカの大学の質、すなわち、その大学の支援基盤、管理、教育プログラム、設置年、教授団、学生、入学水準と履修要件、学生サービの質、財政、図書館の質などを学問分野別、総合別に数値化し、その得点順に大学の順位を並べたものである。このコーマンのランキングは評価の基準も方法も曖昧で専門家からは″まゆつば”ものと断罪されているのだが、いったん有名になると一人歩きを始め。高校生や父兄の大学選びにはかなりの影響力を及ぼしているのは、日本で猛威をふるっている受験産業の偏差値による大学ランキングの場合とそっくりである。
そもそも大学や学部学科の質などというものが測定できるのか、ましてやアカデミックな価値の序列化などは可能なのか。こういう疑問が出てくるのは当然だが、アメリカではともかく大学の評価は現実に広く行なわれており、かつ社会にとっても必要不可欠なものとなっている。大学が原則として設立自由であり、法的な規制も緩く、誰もがそれぞれの目的に応じた大学を気楽に作れる社会では、きわめて多種多彩な大学が生まれ、その形態や質を画一的にコントロールすることは不可能である。
したがって大学受験生や父兄は進学校を選ぶために、政府は大学への予算や補助金を配分するために、一能用者は大学卒業生の質を予想するために、なんらかの評価の尺度を必要とする。実際正規の基準認定を受けているものだけでも三三〇〇校もの大学・短大がひしめいている社会(基準認定を受けていない高等教育機関を加えれば一万校を超えるというようでは、どうしても大学のよしあしを決めることが必要になるのである。
アメリカでは大学の設置認可は州政府の権限とされており、州によってその設置の法的規制が厳しいところと、きわめて緩いところとがある。一般に大学や短期大学などの高等教育機関の設置認可は、二つの段附を経て行なわれる。まず第一は、大学は非営利の法人でなければならず、したがって州の非営利法人法に規制される。これがいわば日本でいう学校法人としての認可にあたる手続きであり、一般にチャータリングと呼ばれている。
しかしこのチャータリングの段階では、その大学はまだ一人前の大学とはみなされておらず、いわば暫定的な″営業許可”を得ている状態にすぎない。その大学が″カレッジシティ″の名称で呼ばれ、かつ学位(准学士、学士、修士、博士)を授与する資格のある大学となるためには、もう一つ上の段階の認可が必要となる。
そもそも大学や学部学科の質などというものが測定できるのか、ましてやアカデミックな価値の序列化などは可能なのか。こういう疑問が出てくるのは当然だが、アメリカではともかく大学の評価は現実に広く行なわれており、かつ社会にとっても必要不可欠なものとなっている。大学が原則として設立自由であり、法的な規制も緩く、誰もがそれぞれの目的に応じた大学を気楽に作れる社会では、きわめて多種多彩な大学が生まれ、その形態や質を画一的にコントロールすることは不可能である。
したがって大学受験生や父兄は進学校を選ぶために、政府は大学への予算や補助金を配分するために、一能用者は大学卒業生の質を予想するために、なんらかの評価の尺度を必要とする。実際正規の基準認定を受けているものだけでも三三〇〇校もの大学・短大がひしめいている社会(基準認定を受けていない高等教育機関を加えれば一万校を超えるというようでは、どうしても大学のよしあしを決めることが必要になるのである。
アメリカでは大学の設置認可は州政府の権限とされており、州によってその設置の法的規制が厳しいところと、きわめて緩いところとがある。一般に大学や短期大学などの高等教育機関の設置認可は、二つの段附を経て行なわれる。まず第一は、大学は非営利の法人でなければならず、したがって州の非営利法人法に規制される。これがいわば日本でいう学校法人としての認可にあたる手続きであり、一般にチャータリングと呼ばれている。
しかしこのチャータリングの段階では、その大学はまだ一人前の大学とはみなされておらず、いわば暫定的な″営業許可”を得ている状態にすぎない。その大学が″カレッジシティ″の名称で呼ばれ、かつ学位(准学士、学士、修士、博士)を授与する資格のある大学となるためには、もう一つ上の段階の認可が必要となる。
2013年11月5日火曜日
伝統文化の位置づけ
ブータンの近代化は、近代化すなわち西欧化という観点から、明治維新の文明開化のかけ声の下に、暦、医学、服装といった生活の根幹をなす分野まで、一〇〇〇年余にわたって築き上げられてきた自国の伝統を棄て、西欧化しようとした日本のそれとは、まったく好対照である。ブータン政府は、近代化の初めから、ブータンの国としてのアイデンティティの源泉であるユニークな伝統文化を守るという立場がはっきりしており、そのために公式の場での民族衣装着用の義務とか、公私を問わずすべての建物における伝統的建築様式・意匠の遵守といった法的措置も講じられている。
たとえば暦は、現在でも伝統的なブータン暦とグレゴリウス歴(太陽暦)が併用されている。ブータン暦は、日本の旧暦同様、月と太陽の両方の運行を考慮に入れた太陰太陽暦である。国民の大半が農業に従事し、仏教徒であるブータンでは、農作業も、お祭り・法要など仏教的性格の年中行事も月の満ち欠けと深く関わっている以上、月の運行が考慮されていない、それ故に日付と月齢が対応していない西洋暦では、実生活に役立たない。たとえば、ブータン各地でもっとも盛大なお祭りであるツェチユ(一〇日)祭は、その名のとおり月の一〇日、すなわち月齢が一〇日の日に行われる。
その日はブータン暦では必ず月の一〇日に当たるが、西暦では月のどの日に当たるかが、年ごとに、月ごとに異なり、暦からはツェチユ祭がいつになるのか見当がつかないという不都合が生じる。その他、日の吉凶、運勢といった今でもブータン人にとって重要な事柄は、すべてブータン暦に基づいて算出されている。それ故に、日常生活では今でもブータン暦が用いられ、西暦を用いている諸外国とも関わる公式行事(たとえば、一二月一七日の建国記念日)とかはグレゴリウス暦が用いられているが、いずれの場合も、両者が併記されている。医療に関しても、西洋医学と伝統的な医療の双方が行われている。古来ブータンは「薬草の国」として知られているだけあって、生薬による治療が普及している。
伝統医学は、高血圧、消化器障害、アレルギー、リューマチ、不眠症といった症状にはことのほか効き目があり、免疫性を高めるのにも優れているが、外科手術はなく、様々な急性疾患とか伝染病には無力である。現在のブータンの医療政策の注目すべき点は、こうした伝統医療の長所と限界を認識した上で、伝統医学と近代西洋医療を統合させようとしていることである。たとえば、急性アレルギーの患者に対しては、ドゥンツォ(伝統医学の医師)は詳しい診脈、尿および血液の検査をした後、まずは抗ヒスタミン剤による短期治療のために西洋系の逆症療法を施す病院に委ね、その後患者を再び呼び戻して伝統的生薬による長期治療を施したり、数日間の湯治を勧めたりする、といった具合である。
第四代国王の四人の王妃の一人ドルジエーワンモーワンチュックは、本書の冒頭で引用した『幸福大国ブータンー王妃が語る桃源郷の素顔』の中で医療に関して、こう述べている。「先進国の逆症療法を基本とした西洋医学を施す医師たちも、伝統的な植物性・動物性生薬に蕎づく伝統医療にたいして同じような柔軟な態度で臨んでくれたらすばらしいことでしょう」西洋医学と、その他の文化圏での様々な伝統的医療(たとえば漢方とがインドのアーユルヴェーダ医療)の融合という点で、ブータンはまさに模範的な例である。
たとえば暦は、現在でも伝統的なブータン暦とグレゴリウス歴(太陽暦)が併用されている。ブータン暦は、日本の旧暦同様、月と太陽の両方の運行を考慮に入れた太陰太陽暦である。国民の大半が農業に従事し、仏教徒であるブータンでは、農作業も、お祭り・法要など仏教的性格の年中行事も月の満ち欠けと深く関わっている以上、月の運行が考慮されていない、それ故に日付と月齢が対応していない西洋暦では、実生活に役立たない。たとえば、ブータン各地でもっとも盛大なお祭りであるツェチユ(一〇日)祭は、その名のとおり月の一〇日、すなわち月齢が一〇日の日に行われる。
その日はブータン暦では必ず月の一〇日に当たるが、西暦では月のどの日に当たるかが、年ごとに、月ごとに異なり、暦からはツェチユ祭がいつになるのか見当がつかないという不都合が生じる。その他、日の吉凶、運勢といった今でもブータン人にとって重要な事柄は、すべてブータン暦に基づいて算出されている。それ故に、日常生活では今でもブータン暦が用いられ、西暦を用いている諸外国とも関わる公式行事(たとえば、一二月一七日の建国記念日)とかはグレゴリウス暦が用いられているが、いずれの場合も、両者が併記されている。医療に関しても、西洋医学と伝統的な医療の双方が行われている。古来ブータンは「薬草の国」として知られているだけあって、生薬による治療が普及している。
伝統医学は、高血圧、消化器障害、アレルギー、リューマチ、不眠症といった症状にはことのほか効き目があり、免疫性を高めるのにも優れているが、外科手術はなく、様々な急性疾患とか伝染病には無力である。現在のブータンの医療政策の注目すべき点は、こうした伝統医療の長所と限界を認識した上で、伝統医学と近代西洋医療を統合させようとしていることである。たとえば、急性アレルギーの患者に対しては、ドゥンツォ(伝統医学の医師)は詳しい診脈、尿および血液の検査をした後、まずは抗ヒスタミン剤による短期治療のために西洋系の逆症療法を施す病院に委ね、その後患者を再び呼び戻して伝統的生薬による長期治療を施したり、数日間の湯治を勧めたりする、といった具合である。
第四代国王の四人の王妃の一人ドルジエーワンモーワンチュックは、本書の冒頭で引用した『幸福大国ブータンー王妃が語る桃源郷の素顔』の中で医療に関して、こう述べている。「先進国の逆症療法を基本とした西洋医学を施す医師たちも、伝統的な植物性・動物性生薬に蕎づく伝統医療にたいして同じような柔軟な態度で臨んでくれたらすばらしいことでしょう」西洋医学と、その他の文化圏での様々な伝統的医療(たとえば漢方とがインドのアーユルヴェーダ医療)の融合という点で、ブータンはまさに模範的な例である。
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