老人ホームといえば、もう一つ驚いたことがある。上の妹が大阪の自宅に近いホームのパンフレットを送りっけてきたとき、中身をみたら、毎月の経費は、たまに親たちをショートーステイさせる東京のホームにくらべるとやや安いが、そのかわり洗濯代はパンツー枚いくら、シャツ一枚いくらと、出した数に応じて別途請求する仕組みである。テレビは一〇〇円玉を入れれば何分間見られる、部屋の掃除代はいくら、トイレの掃除は別料金、とやたら細かい。逆に食費は、前日までに断ればその分だけ差し引く。
銀座の協会事務所でもらってきた関東一円のホームのパンフレットでは、例外なく、細々したものがすべて込みで、月極めいくらになっている。標準的な生活を想定して試算してみると、東京のほうが若干安くつく。なぜこんなにシステムが違うのか、親たちが利用するホームの事務長に電話して聞いたら、関西はこれがふつうなんです、という。
食わなかったのに食費をとるとは何事だ、と必ずクレームがつく。洗濯代を込みにしておくと、どうせタダならやってもらおうやないか、と見舞いついでに家から汚れ物をごっそり持ってくるのが現れる。
東京ではあまり細かいことをいうと嫌われる傾向があるが、関西、とりわけ大阪では、単価をつけていちいち積算しないと通用しないそうだ。同じ日本の中でこれだけ対照的なのは、ええカッコしいの東と、カネにシビアな西とて、いわば人生のレールの幅が違うからだろう。
だれが入居一時金を出すかによってホームに入る老人の尻の落ち着き方がまるで違う、という話は、自分で終の栖を設定することができる人生を送ってきた人間、自分の責任で自分の生涯の幕を引くことができる生き方をしてきた人間と、そういうふうには生きてこなかった人間との、対比の問題である。しっかりした責任感のもとでレールを走ってきたかどうか、という違いである。
超高級有名ホームでの入居者間の微妙なサヤ当ての話は、基本的に自己責任原理に立って生きてきた人たちの間でも、それまでの生活環境や生活感覚が、似通っていれば似通っているなりに、ズレていればズレているなりに、一つの終着駅に合流して暮らすのは容易でない、ということを物語っている。生活感覚とは人生の乗り心地のようなもので、少しでも感じが変わると、老人になればなるほど快適感が失われ不快感が募るのだろう。
東西のホームの料金システムの違いは、介護サービスにも風土性が色濃く反映する、という事実を示している。駅のホームで、東京にくると大阪人も列に並ぶが、大阪にいくと東京人も列をつくらず先を争って乗る。これは善悪以前の、上地の気風がにじむ流儀のようなものだが、老人になると身に染みついた流儀を変えにくい。行政にありかちな一律のサービス姿勢では、各地で摩擦が多発しかねまい。
2015年3月5日木曜日
2015年2月5日木曜日
政党助成金は企業・団体献金の廃止・縮小とワンセットのはずだった
本来、政党助成金は企業・団体献金の廃止・縮小とワンセットになっていたはずだった。しかし自民党が過去五年間にやったことは、企業・団体献金収入を大幅に増やす、まったく逆の動きであった。
それどころか、同党政治改革本部は九九年十月二十五日の総会で、政党助成金を減額する代わりに、九五年一月施行の改正政治資金規正法に明記された政治家個人への企業・団体献金について、「施行五年後にこれを禁止する措置を講じる」とした付則九条を削除する方針を決めた。
法律の規定を反故にするこの決定に世論や野党は一斉に反発、あわてた自民党執行部は、政治資金規正法の規定に沿って二〇〇〇年一月から政治家個人への企業・団体献金禁止の方針を決めた。まことにお粗末としか言いようのない経過であった。
結局、政党への企業・団体献金はどうなるのか? 改正政治資金規正法は付則十条で、法施行後五年で個人献金の伸び具合や政党財政の状況をみて、企業・団体献金を見直すとうたっている。
だが、小渕首相は国会答弁で、「見直して削除もありうる」と、付則十条を削除して、企業・団体献金の永続化を図る方向を示唆した。さらに問題なのは、政党助成金総額を五年後に「見直す」とした政党助成金法付則六条についても、自民党が削除を画策していることだ。
もともと政党助成金は、政党の支持、不支持にかかわらず、政党への寄付を国民一人ひとりに強制する、憲法違反の国庫からの支払い行為である。
個人献金を増やす努力を怠り、政党への企業・団体献金を存続させ、政党助成金とともに懐に入れる「二重取り」は、それ自体が大きな問題をはらんでいる。
政党向け企業・団体献金と政党助成金はこの際きっぱりと廃止して、政治資金は個人献金一本に絞るべきだ。それが政治を浄化する最短の道である。
それどころか、同党政治改革本部は九九年十月二十五日の総会で、政党助成金を減額する代わりに、九五年一月施行の改正政治資金規正法に明記された政治家個人への企業・団体献金について、「施行五年後にこれを禁止する措置を講じる」とした付則九条を削除する方針を決めた。
法律の規定を反故にするこの決定に世論や野党は一斉に反発、あわてた自民党執行部は、政治資金規正法の規定に沿って二〇〇〇年一月から政治家個人への企業・団体献金禁止の方針を決めた。まことにお粗末としか言いようのない経過であった。
結局、政党への企業・団体献金はどうなるのか? 改正政治資金規正法は付則十条で、法施行後五年で個人献金の伸び具合や政党財政の状況をみて、企業・団体献金を見直すとうたっている。
だが、小渕首相は国会答弁で、「見直して削除もありうる」と、付則十条を削除して、企業・団体献金の永続化を図る方向を示唆した。さらに問題なのは、政党助成金総額を五年後に「見直す」とした政党助成金法付則六条についても、自民党が削除を画策していることだ。
もともと政党助成金は、政党の支持、不支持にかかわらず、政党への寄付を国民一人ひとりに強制する、憲法違反の国庫からの支払い行為である。
個人献金を増やす努力を怠り、政党への企業・団体献金を存続させ、政党助成金とともに懐に入れる「二重取り」は、それ自体が大きな問題をはらんでいる。
政党向け企業・団体献金と政党助成金はこの際きっぱりと廃止して、政治資金は個人献金一本に絞るべきだ。それが政治を浄化する最短の道である。
2015年1月8日木曜日
冷戦後の自衛隊の変容
「協力の内容によっては、これを公表することにより、例えば米軍のオペレーションが対外的に明らかになってしまうといったことも考え得る。このような場合については、必要な期間、公開を差し控えていただくよう、協力要請の段階で、併せて依頼を行うことを考えている」と情報統制も示唆していた。第九条の規定は全国の地方自治体に不安と動揺を与え、二〇〇以上の県・市町村が反対や慎重審議決議を採択した。しかし国側は、国会審議で地方自治の尊重を強調しながらも、自治体や企業に、政府の「協力要請」や「依頼」への拒否権があるとは認めようとしなかった。この論点は、その後提案される「有事法制」、とりわけ「国民保護法」において、よりぬきさしならない国権対地方自治のかたちで議論の焦点となるものである。
以上みてきた冷戦後における日米安保協力、その下での自衛隊の変容は、それ以前の防衛論議を規定してきた憲法原則および政府解釈に大きな転換をもたらした。すなわち、自衛隊の任務は国土防衛に徹するものであって、個別的自衛権の範囲内で専守防衛を本旨とする受動的な防衛戦略に限定され、海外派兵は行ないえない。安保条約にもとづく日米軍事協力は、条約区域である「日本の施政の下にある領域」にかぎられるものであって、なんら領域外における義務を負うものではない。
自衛隊は自衛のための実力であって、必要最小限度の実力にとどめられ、国際法上の交戦権は行使できない。集団的自衛権の行使(他国の戦争への参加)は、憲法上許されない。一九九〇年代の自衛隊のあり方とは、これらの枠組みが崩れ、地域的に、また任務においてあいまい化し、アメリカの世界戦略変更にしたがって、自衛隊が、ふつうの軍隊に変化していく過渡期であった。そのうえを、二〇〇二年にはじまる小泉劇場の五年半が突っぱしり、さらには安倍首相の「戦後レジームからの脱却」へと、憲法破壊をより高次のものに押しならしていくのである。「一九九〇年代における日米安保協力の新たな枠組み」を年表化した。
「夫インド洋、妻はチモール」。こんな見出しの記事が自衛隊の準機関紙『朝雲』に載った。二〇〇二年九月のことだ。米軍のアフガニスタン攻撃を支援する「テロ特措法」制定、そしてインド洋への補給艦、護衛艦の出動。それによって海上自衛官の夫は対米支援任務に派遣される。一方、女性自衛官の妻は、おなじ時期を束チモールPKO部隊の一員として、やはり海外ですごす……。記事は、美談仕立ての夫婦共働き自衛官の別居生活を通じ、新世紀初頭における自衛隊活動の広がりを伝えていた。
この年、すなわち二〇〇二年、海外で新年を迎えた陸・海・空自衛隊員は二〇〇〇人以上にのぼった。クウェート、インド洋、ゴラン高原、東チモールなどだ。その後「インド洋津波支援」に派遣された部隊を加えると、自衛官約三〇〇〇人が、この年に国外に出たことになる。「海外派遣」は、もはや日常的な光景になった。とりわけ「イラク戦争」を境として、自衛隊の姿勢は、いちだんと高ぶり戦闘色をつよめた。そのしるしを、いくつかの事例でみておこう。二〇〇四年六月開かれた陸上自衛隊研究本部の「第三回研究本部セミナー」で、報告者の一人は、イラク派遣任務から今後学ぶべき課題を、こうしめくくった。
以上みてきた冷戦後における日米安保協力、その下での自衛隊の変容は、それ以前の防衛論議を規定してきた憲法原則および政府解釈に大きな転換をもたらした。すなわち、自衛隊の任務は国土防衛に徹するものであって、個別的自衛権の範囲内で専守防衛を本旨とする受動的な防衛戦略に限定され、海外派兵は行ないえない。安保条約にもとづく日米軍事協力は、条約区域である「日本の施政の下にある領域」にかぎられるものであって、なんら領域外における義務を負うものではない。
自衛隊は自衛のための実力であって、必要最小限度の実力にとどめられ、国際法上の交戦権は行使できない。集団的自衛権の行使(他国の戦争への参加)は、憲法上許されない。一九九〇年代の自衛隊のあり方とは、これらの枠組みが崩れ、地域的に、また任務においてあいまい化し、アメリカの世界戦略変更にしたがって、自衛隊が、ふつうの軍隊に変化していく過渡期であった。そのうえを、二〇〇二年にはじまる小泉劇場の五年半が突っぱしり、さらには安倍首相の「戦後レジームからの脱却」へと、憲法破壊をより高次のものに押しならしていくのである。「一九九〇年代における日米安保協力の新たな枠組み」を年表化した。
「夫インド洋、妻はチモール」。こんな見出しの記事が自衛隊の準機関紙『朝雲』に載った。二〇〇二年九月のことだ。米軍のアフガニスタン攻撃を支援する「テロ特措法」制定、そしてインド洋への補給艦、護衛艦の出動。それによって海上自衛官の夫は対米支援任務に派遣される。一方、女性自衛官の妻は、おなじ時期を束チモールPKO部隊の一員として、やはり海外ですごす……。記事は、美談仕立ての夫婦共働き自衛官の別居生活を通じ、新世紀初頭における自衛隊活動の広がりを伝えていた。
この年、すなわち二〇〇二年、海外で新年を迎えた陸・海・空自衛隊員は二〇〇〇人以上にのぼった。クウェート、インド洋、ゴラン高原、東チモールなどだ。その後「インド洋津波支援」に派遣された部隊を加えると、自衛官約三〇〇〇人が、この年に国外に出たことになる。「海外派遣」は、もはや日常的な光景になった。とりわけ「イラク戦争」を境として、自衛隊の姿勢は、いちだんと高ぶり戦闘色をつよめた。そのしるしを、いくつかの事例でみておこう。二〇〇四年六月開かれた陸上自衛隊研究本部の「第三回研究本部セミナー」で、報告者の一人は、イラク派遣任務から今後学ぶべき課題を、こうしめくくった。
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